小泉清三郎
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小泉 清三郎(明治38年(1905年)8月11日 - 没年不明)は、日本の実業家。小泉商店代表社員[1]。
経歴・人物
[編集]大正12年(1923年)島根県立商業学校卒[1]。鳥取県履物統制組合理事長[1]、同履物工業統制組合理事[1]、同屑ゴム利用製品統制組合理事長[1]、米子商工会議所議員[1]、米子市万能町町内会長等を歴任[1]。万能神社総代[1]、瑞仙寺檀徒総代を兼任す[1]。
趣味は読書[1]。宗教は禅宗[1]。住所は米子市万能町[1]。
昭和9年(1934年)3月1日、万能町・小泉清三郎方より出火損害五千圓[2]。
家族・親族
[編集]小泉家
[編集]- 子供[1]
史料
[編集]大正11年(1922年10月)『西伯之資力』によると、地価二百円以上納入者として、小泉清三郎(履物製造、九百九十六円八十八銭)、河原仁十(魚類問屋業、四百七十八円五十四銭)の二人がみえ、所得税納入者は十七人、国税営業税納入者として次の十七人の名が記されている[3]
- 田子吉三郎(四百七十四円)[3]
- 加藤豊吉[4](百二十五円)[3]
- 小泉清三郎(百二十一円)[3]
- 河原仁十(七十円)[3]
- 大生合名会社(六十七円)[3]
- 岡房市(五十円)[3]
- 福島啓太郎(三十円)[3]
- 山崎久作(二十円)[3]
- 常田孝治(十九円)[3]
- 赤井熊太郎(十八円)[3]
- 藤丸スマ(十五円)[3]
- 北村正一(十五円)[3]
- 坂本えい(十一円)[3]
- 大村勝次郎(十二円)[3]
- 山本隆一(九円)[3]
- 出島鉄郎(八円)[3]
- 原田栄太郎(八円)[3]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 コ…144頁
- ^ 『米子自治史』375頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『米子商業史』382頁
- ^ 元加藤商事会長加藤章の父