コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小泉恒美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小泉 恒美
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長野県
生年月日 (1942-07-05) 1942年7月5日
没年月日 (1990-06-02) 1990年6月2日(47歳没)
身長
体重
178 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1961年
初出場 1962年
最終出場 1971年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小泉 恒美(こいずみ つねみ、1942年7月5日 - 1990年6月2日[1])は、長野県[1]出身のプロ野球選手。ポジションは本来は一塁手だが、外野手もこなした。

来歴・人物

[編集]

長野県岡谷工業高等学校3年時の1960年に春季北信越大会で準決勝に進出。この試合ではリリーフとして登板したが、金沢市立工業高等学校の前に敗れた。夏の甲子園県予選でも敗退したため、甲子園とは縁がなかった。

卒業後の1961年南海ホークスへ入団[1]王貞治に似た一本足打法が持ち味で、入団5年目の1965年には、一塁手や右翼手として69試合に出場した。10月13日の対東京オリオンズ戦(東京スタジアム)では、野村克也に代わる4番打者として先圧起用され、4打数1安打1打点という成績を残した。左投手に弱く、当時は予告先発制度が導入されていなかったことから、1967年には偵察要員が使われた後に左翼手や右翼手として出場した試合が36試合にまで達していた。実際に試合の最初から出場したのは57試合で、5月末から3番打者としても起用された。同年は打率.249、本塁打9本というキャリアハイの成績を残した。

出場機会が減少した1970年オフには、「加盟全12球団の戦力の均等化」を目的に、ドラフト会議と同じ要領で1972年まで年1回開催されていたプロ野球選抜会議(トレード会議)の指名対象(1球団が保有する支配下登録選手の20%に当たる)選手リストへ掲載され、中日ドラゴンズから指名を受けた。一軍での実績が十分な選手としては珍しく、移籍金が生じない3巡目で指名されたことを受けて翌1971年に移籍した[1][2]。しかし同年は2試合の先発出場にとどまり、この年限りで現役を引退した[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1962 南海 9 13 10 0 3 0 0 0 3 0 0 1 0 0 1 0 2 3 0 .300 .462 .300 .762
1963 3 2 2 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500 .500 2.000 2.500
1964 12 13 13 0 4 2 0 0 6 2 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .308 .308 .462 .769
1965 69 126 113 16 25 4 1 3 40 17 1 0 0 0 11 0 2 29 4 .221 .302 .354 .656
1966 17 10 10 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .100 .100 .100 .200
1967 108 358 333 31 83 15 2 9 129 38 2 0 0 1 23 0 1 46 6 .249 .300 .387 .687
1968 81 197 178 19 45 11 2 6 78 27 1 1 2 1 16 0 0 31 1 .253 .314 .438 .753
1969 74 189 177 16 49 2 1 5 68 24 1 2 0 3 7 1 2 18 7 .277 .312 .384 .696
1970 29 60 56 2 12 1 0 1 16 5 0 0 0 0 3 0 1 5 1 .214 .267 .286 .552
1971 中日 44 45 42 0 7 1 0 0 8 2 0 0 0 0 2 1 1 6 0 .167 .222 .190 .413
通算:10年 446 1013 934 85 230 36 6 25 353 116 5 4 2 5 63 2 9 146 19 .246 .300 .378 .678

背番号

[編集]
  • 62 (1961年 - 1965年)
  • 9 (1966年 - 1970年)
  • 44 (1971年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、213ページ
  2. ^ “トレード会議”は「やる意味がない」とわずか3回で中止…現役ドラフトは同じ轍を踏むのか?”. デイリー新潮 (2022年11月27日). 2022年11月28日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]