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小泉雅信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小泉兼吉から転送)
 小泉 雅信 八段
名前 小泉 雅信
生年月日 (1900-06-08) 1900年6月8日
没年月日 (1964-09-03) 1964年9月3日(64歳没)
プロ入り年月日 1918年[注 1]
引退年月日 1952年
出身地 東京府(現:東京都
所属 東京将棋倶楽部
→東京将棋連盟
日本将棋連盟(関東)
日本将棋革新協会
→将棋大成会(関東)
→日本将棋連盟(関東)
師匠 関根金次郎十三世名人
弟子 奥野基芳浅沼一
段位 八段
順位戦最高クラス A級(1期)
2022年2月22日現在
テンプレートを表示

小泉 雅信(こいずみ まさのぶ、1900年6月8日 - 1964年9月3日)は、将棋棋士。八段。関根金次郎十三世名人門下。東京府(現:東京都)出身。旧名は小泉兼吉。

経歴

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1907年、わずか7歳で関根金次郎に入門。1918年に四段に昇段。

1940年に八段に昇段し、第4期名人戦の予選に参加。戦後の1946年順位戦A級クラスに参加し、降級。この後、名を小泉雅信と改める。1952年に引退。

弟子

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棋士となった弟子

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名前 四段昇段日 段位、主な活躍
奥野基芳 1934年 八段
浅沼一 1950年4月1日 七段

主な成績

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[3]
(出典)竜王戦
出典[4]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1946 1 八段戦8位
1947 2 B級4位
1948 3 B級
1949 4 B級
1950 5 B級
1951 6 B級23位
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

著書

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  • 現代将棋戦術(1952年、大阪屋號書店)
  • 将棋平手定跡(1953年、大阪屋號書店)
  • 将棋平手定跡(将棋ポケット文庫)(1960年、大阪屋號書店)

脚注

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注釈

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  1. ^ ここでは便宜上、四段昇段日をプロ入り日として扱うが、小泉のプロ入り当時は初段昇段時から専門棋士として扱われていたとされる。昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった[1]。その頃、奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立されていった[2]

出典

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  1. ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36
  2. ^ 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220
  3. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  4. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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