小沼靖
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小沼 靖(おぬま せい、1909年(明治42年)7月4日 - 1983年(昭和58年)2月14日)は、日本の実業家である[1][2]。青森放送の代表取締役社長を務めた[1][2]。
経歴・人物
[編集]青森県青森市に生まれる[2]。1927年(昭和2年)に青森師範学校(現在の弘前大学教育学部)卒業後[1][2]、12年の空白を経て1939年(昭和14年)に同盟通信社の函館支局に勤めた[2]。1943年(昭和18年)に東奥日報社に転勤し[1][2]、論説委員等多くの職にあたる[1]。
1953年(昭和28年)にラジオ青森(現在の青森放送)の開局と同時に入社し[1]、1964年(昭和39年)には同局の専務取締役に就任した[2]。1970年(昭和45年)には[1]、民放初のローカル報道番組であった「RABニュースレーダー」の製作に携わり[1]、翌1971年(昭和46年)より青森放送代表取締役を務める[1][2]。1976年(昭和51年)には日本民間放送連盟の副会長も就任した[2]。