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小池村 勇七(こいけむら ゆうしち、宝暦13年〈1763年〉 - 文化2年1月9日〈1805年2月8日〉)は、江戸時代後期の一揆指導者[1]。
常陸国信太郡小池村の農民[1]。文化元年(1804年)水戸街道牛久宿の問屋麻屋和藤治による助郷役課増に反対し、小池村吉十郎・桂村兵右衛門と共に一揆を指導[1][2]。和藤治・牛久宿治左衛門・阿見村権左衛門の問屋を打ち壊し、土浦藩兵に鎮圧された[2]。これを牛久助郷一揆という[2]。その後、頭取のひとりとして捕らえられ江戸で獄死[1]。