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小池上春芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年明治40年〉2月11日 - 1997年平成9年〉10月26日)は、日本医師解剖学者。医学博士新潟医科大学解剖学第二教室第2代教授。新潟大学名誉教授。

略歴

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新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)の富商・小池上春五郎の四男として出生[注 1]

1923年大正12年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1926年(大正15年)3月に新潟高等学校を卒業、1930年昭和5年)3月に新潟医科大学を卒業[2]

1930年(昭和5年)4月に新潟医科大学解剖学教室(担任:平澤興教授)助手に就任[3]1934年(昭和9年)3月に新潟医科大学解剖学教室[注 2]助教授に就任、1935年(昭和10年)1月に新潟医科大学から医学博士号を取得[4]

1940年(昭和15年)から新潟医科大学臨時附属医学専門部教授を兼任、1946年(昭和21年)12月に新潟医科大学解剖学第二教室第2代教授に就任[5]1951年(昭和26年)4月に新潟大学医学部解剖学第二教室教授に就任[4]

1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)まで新潟大学農学部家畜解剖学講師を兼任[6]、1952年(昭和27年)4月から1956年(昭和31年)3月まで新潟大学附属図書館館長・医学部分館館長を兼任[7]

1957年(昭和32年)11月に「扁桃核に関する研究」で新潟日報文化賞を受賞[8][9]1960年(昭和35年)1月から5月まで欧米に出張[4]1964年(昭和39年)5月に新潟で第5回日本組織化学会総会と第69回日本解剖学会総会を主催[10]

1970年(昭和45年)3月24日から4月2日まで新潟大学医学部長事務取扱・大学院医学研究科長を兼任、1971年(昭和46年)3月29日から4月19日まで新潟大学医学部長事務取扱・大学院医学研究科長を兼任[11]

1972年(昭和47年)3月に新潟大学を定年退官、4月に杏林大学医学部解剖学教室教授に就任[4]、5月に新潟大学名誉教授の称号を受称、1977年(昭和52年)3月に杏林大学を退職[4]

1997年平成9年)10月26日午後0時20分に新潟県西蒲原郡味方村大字西白根(現 新潟市南区西白根)の白根緑ケ丘病院で老衰による誤嚥性肺炎のため死去[1][9]

大脳辺縁系、特に扁桃体とその周辺皮質の研究に従事した[9][12][13]

1950年代当時、カリフォルニア大学ロサンゼルス校脳研究所 (UCLA Brain Research Institute) では小池上春芳の名前がよく知られていて[14]、1960年(昭和35年)に小池上春芳は同大学に招かれて講演を行った[15][16]

栄典

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門下生

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親族

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著作物

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著書

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  • 『大腦皮質に於ける中樞問題 人類の腦』平澤興[共著]、山雅房、1943年。
  • 『大脳辺縁系』中外医学社〈中外医学双書〉、1965年。
  • 『大脳辺縁系及び旁辺縁系』小池上春芳教授退官記念会、1971年。

論文

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脚注

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注釈

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  1. ^ 小池上家の初代は江戸時代中期の石見国(現 島根県)の回船問屋の五男で、栄えていた新潟湊に店を構え回船問屋を営んで小熊屋春五郎と名乗った。3代目春五郎から小池上を名乗った[1]
  2. ^ 1934年昭和9年)5月に解剖学第一教室と解剖学第二教室に分離、1961年(昭和36年)4月に解剖学第三教室が開講。

出典

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  1. ^ a b 解剖学雑誌』第74巻第2号、257頁。
  2. ^ 日本近現代 医学人名事典 1868-2011』244頁。
  3. ^ 解剖学雑誌』第74巻第2号、258頁。『さあ、がんばろう』240頁。『平澤興先生の心と言葉』214頁。
  4. ^ a b c d e ミクロスコピア』第17巻第3号、31頁。
  5. ^ 新潟大学医学部百年史』50頁。
  6. ^ 新潟大學醫學部五十年史』499頁。
  7. ^ 新潟大学医学部百年史』51・53頁。
  8. ^ 新潟大学二十五年史 部局編』534頁。『新潟大学五十年史 部局編』411頁。『新潟大學醫學部五十年史』500頁。『新潟大学医学部七十五年史 下巻』11頁。
  9. ^ a b c 新潟日報』1997年10月28日付朝刊、23面。
  10. ^ 日本解剖学会の沿革 - 学会について日本解剖学会
  11. ^ 新潟大学医学部百年史』57頁。
  12. ^ 教室について新潟大学大学院医歯学総合研究科脳機能形態学分野(解剖学第二)
  13. ^ ミクロスコピア』第17巻第3号、31頁。『解剖学雑誌』第74巻第2号、258頁。『新潟大学二十五年史 部局編』542頁。『新潟大学五十年史 部局編』411頁。『新潟大學醫學部五十年史』501頁。『新潟大学医学部七十五年史 下巻』12頁。
  14. ^ ミクロスコピア』第17巻第3号、30頁。
  15. ^ ミクロスコピア』第17巻第3号、32頁。
  16. ^ UCLAと日本の脳研究 - UCLA Club of Japan 日本同窓会 医学部の思い出
  17. ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第34号、5頁、大蔵省印刷局、1978年5月2日。
  18. ^ 「叙位・叙勲」『官報』第2275号、9頁、大蔵省印刷局、1997年12月3日。

参考文献

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  • 「小池上春芳」『日本近現代 医学人名事典 1868-2011』244頁、泉孝英[編]、医学書院、2012年。
  • 「小池上春芳氏」『新潟日報』1997年10月28日付朝刊、23面、新潟日報社、1997年。
  • 「小池上春芳先生を偲ぶ」『解剖学雑誌』第74巻第2号、257-259頁、布施栄明[著]、日本解剖学会、1999年。
  • 「正当に評価されなかった 脳生理学の先覚者 小池上春芳先生」『ミクロスコピア』第17巻第3号、30-32頁、川村浩[著]、藤田恒夫[編]、ミクロスコピア出版会、2000年。
  • 『さあ、がんばろう』平澤興[著]、法藏館、1988年。
  • 『平澤興先生の心と言葉』平澤興・ほか[著]、白根緑ケ丘病院内「平澤興先生の心と言葉」刊行会、1991年。
  • 『新潟大学二十五年史 部局編』新潟大学二十五年史編集委員会[編]、新潟大学二十五年史刊行委員会、1980年。
  • 『新潟大学五十年史 部局編』新潟大学五十年史編集委員会[編]、新潟大学五十年史刊行委員会、2000年。
  • 『新潟大學醫學部五十年史』新潟大学医学部五十周年記念会[編]、新潟大学医学部五十周年記念会、1962年。
  • 『新潟大学医学部七十五年史 下巻』新潟大学医学部創立七十五周年記念事業期成会・新潟大学医学部学士会[編]、新潟大学医学部創立七十五周年記念事業期成会・新潟大学医学部学士会、1994年。
  • 『新潟大学医学部百年史』新潟大学医学部創立100周年記念事業準備会・新潟大学医学部学士会[編]、新潟大学医学部創立100周年記念事業準備会・新潟大学医学部学士会、2010年。

関連文献

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  • 『小池上春芳教授開講20周年記念研究業績目録』新潟大学医学部解剖学第二教室[編]、新潟大学医学部解剖学第二教室、1967年。
  • 『又新庵一代記』小池上一郎[著]、石州社、1968年。
学職
前回
小濱基次
日本解剖学会総会会頭
第69回:1964年
次回
澤野十蔵
前回
岡本道雄
日本組織化学会総会会頭
05回:1964年
次回
澤野十蔵