小橋栄太郎
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小橋 栄太郎(こばし えいたろう[1]、1865年3月30日(元治2年3月4日[2]) - 1932年(昭和7年)8月14日[1])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。
経歴
[編集]箱館で商業・小橋宗七の子息として生まれる[3]。1882年、函館商船学校を卒業[1][注 1]。その後、東京に出て近藤塾で学んだが、当時の自由民権運動に共鳴し政治の世界に身を投じた[3]。1883年、先輩と共に北海自由党を結成しようとしたが、当局からの妨害を受けて実現できなかった[3][4]。1889年、『日刊北辰』を創刊[4]。1894年1月、改めて政事新聞『めざまし』を創刊し、1898年、『函館日日新聞』と改題した[3][4]。
1900年、平出喜三郎に協力して立憲政友会函館支部を創立して、その幹部に就任[3][4]。その後、函館区会議員、北海道会議員、同副議長を務めた[3]。1908年5月の第10回衆議院議員総選挙で北海道庁函館区から出馬し当選[1]。中央倶楽部に属し衆議院議員を一期務めた[1]。
鉱山経営にも携わったが、晩年は不遇であった[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『北海道人名辞書』266頁では「函館商業学校」。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 金子郡平・高野隆之編『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所、1914年。