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小樽市立緑小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小樽市立緑小学校
校舎解体後の学校跡(2021年4月17日撮影)
地図北緯43度11分14.220秒 東経140度59分23.367秒 / 北緯43.18728333度 東経140.98982417度 / 43.18728333; 140.98982417座標: 北緯43度11分14.220秒 東経140度59分23.367秒 / 北緯43.18728333度 東経140.98982417度 / 43.18728333; 140.98982417
過去の名称 緑尋常小学校
緑国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 小樽市
設立年月日 1920年4月
閉校年月日 2018年2月10日
所在地 047-0024
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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小樽市立緑小学校(おたるしりつみどりしょうがっこう)は、北海道小樽市花園5丁目にあった公立小学校[1]。略称は「緑小」[2]国語教育を特色としていた[1]。市の統廃合計画により2018年平成30年)2月10日に閉校し、小樽市立山の手小学校に統合された[1]

歴史

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1920年大正9年)4月に「緑尋常小学校」として、児童417名で開校した[1][3]。国語教育に力を入れており、「国語の緑」として、日本全国的に見ても先駆的な存在であった[1]。特に第3代校長の沖垣寛は「自覚行の精神」を提唱して、「教師の教材研究、児童の学習はいずれも自律的に行うもの」と説いた[4]

大正末期には、教育者の芦田惠之助が、沖垣校長が芦田の弟子という縁で、本校で国語教育の研究会を開催した[4][5]。芦田が本校を訪れた回数は、死去の2年前である1949年(昭和24年)まで、18回に達した[5]。この記念として、芦田の死去から3年後の1954年(昭和29年)、芦田の直筆の「共に育ちましょう」の碑文が刻まれた記念碑が、芦田を偲んだ本校父母と教師の会によって校内に建てられ[6]、この碑文は緑小の憲法にもなった[5]。平成期においても、読書で声に出して読む音読に力を入れており、すべての学級で毎朝の日課とされていた[7]。緑小の著による書籍として『読解力から表現力へ向かう学力』(東洋館出版社)もある[8]

終戦直後には、小樽出身の小説家である早川三代治が、師である島崎藤村から貰った掛け軸を、終戦翌日の1945年(昭和20年)8月16日に、「心の苦しみ、魂の悩みに対する慰安と勇気づけに役立ててください」と、緑小の校長と教員を励ますために贈ったという逸話もある[9][10]。この掛け軸は、早川の未発表原稿「敗戦前後」が発見された2015年(平成27年)に、緑小に保管されていることが確認された[10][11]

閉校

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小樽市の人口減少や少子化に伴う統廃合計画により[12]、2018年2月に閉校し、同年にすでに閉校していた小樽市立最上小学校、小樽市立入船小学校と共に、同2018年4月開校の小樽市立山の手小学校に統合された[1]。卒業生の数は、1世紀近い歴史において、約1万5千人に達した[4]

北海道立図書館による市町村活動支援事業の一環「学校ブックフェスティバル」が、小樽で初めて開催された学校でもあり[2]、閉校後は市立小樽図書館に事業が受け継がれて「おたる学校ブックフェスティバル」として、小樽市立長橋小学校などで開催されている[13]

緑小の跡地には、小樽市総合体育館の新館の建設が予定されている[4][6]。国語教育に尽力した緑小の歴史を伝えるべく、芦田の碑と、1987年(昭和62年)に建立された沖垣校長の「自覚行」の碑を保存し、緑小跡地を示す看板を新設する案が、旧校区の町会や緑小の歴代PTA会長による「旧緑小学校の記念碑について考える会」によって、進められている[4][6]

出身者

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  • オーテス・ケーリ
    • 3年のとき、当時の軍国主義教育のもとにもかかわらず、「せんそうのはるい(悪い)事」と題した作文で、反戦の意思を主張していた[14]。本校の在校生ではあったが、4年生のとき神戸へ転校したため、卒業生ではない[14]

アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 母校に感謝! 緑小学校閉校式”. 小樽ジャーナル (2018年2月10日). 2021年5月4日閲覧。
  2. ^ a b 緑小体育館に2,000冊の図書 学校ブックフェスティバル開催”. 小樽ジャーナル (2012年7月19日). 2021年5月4日閲覧。
  3. ^ 吉田志津雄. “学校長挨拶”. 小樽市立緑小学校. 2015年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e 「小樽・緑小の碑 保存を」『読売新聞読売新聞社、2023年8月23日、小樽朝刊、27面。
  5. ^ a b c 「いしぶみ 芦田恵之介 共に育ちましょう 国語教育の情熱今も」『北海道新聞北海道新聞社、1995年8月4日、樽B朝刊、21面。
  6. ^ a b c 新小樽市総合体育館敷地に旧緑小メモリアルガーデン設置要望”. 小樽ジャーナル (2023年8月18日). 2023年8月25日閲覧。
  7. ^ 「学力危機「平均」へ道半ば 読み書き 読書が力」『読売新聞』2014年8月29日、東京朝刊、35面。
  8. ^ 小樽市立緑小学校『読解力から表現力へ向かう学力 小樽発、だれでもできる国語の授業』白石範孝・青山由紀監修、東洋館出版社、2007年6月。ISBN 978-4-491-02271-0 
  9. ^ 「「敗戦前後」小樽を記録 早川三代治 未発表小説を発見」『読売新聞』2015年8月5日、東京朝刊、34面。
  10. ^ a b 敗戦前後の小樽をリアルに! 早川氏の未発表原稿”. 小樽ジャーナル (2015年8月4日). 2021年5月4日閲覧。
  11. ^ 市村信子「戦禍の小樽 空襲や再興への思い記す 早川三代治の原稿発見 市内旧宅で 未発表、高い資料価値 8日から展示」『北海道新聞』2015年8月5日、樽A朝刊、30面。
  12. ^ 緑小学校、入船小学校、最上小学校、稲穂小学校保護者への説明”. 小樽市 (2020年11月9日). 2021年5月4日閲覧。
  13. ^ 長橋小児童夢中! ブックフェスティバル”. 小樽ジャーナル (2019年2月1日). 2021年5月4日閲覧。
  14. ^ a b 井上雄一「戦後70年 北海道と戦争 特別編「戦争の悪い事」小樽出身・米元将校の生涯 教室で堂々 反戦作文」『北海道新聞』2015年8月24日、全道朝刊、33面。
  15. ^ 山手地区 停留所名称変更のお知らせ” (PDF). 北海道中央バス (2020年). 2018年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。