小柳早見
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小柳 早見(こやなぎ はやみ、1903年2月2日 - 1955年1月22日)は、日本の昭和時代前期の陸上(長距離走)選手。
生涯
[編集]佐賀県神埼郡に生まれる。旧制佐賀中学校在学中に野口源三郎の指導を受け、陸上競技を本格的に始めた。
中学卒業後、17歳で佐世保市に職を求めて移り住む。佐世保では病院の往診時に医師が乗る人力車の車夫(これ自体が足腰を鍛えるトレーニングを兼ねていた)をしながら練習を続けた。
明治神宮大会(現在の国体陸上競技の前身)で1万メートルに出場すること6回、うち1925年(大正14年)の第2回と1933年(昭和8年)の第7回大会ではいずれも当時の日本記録(第2回33分52秒、第7回32分06秒)を出し優勝した。
生前の1951年(昭和26年)に小柳の名を冠した「小柳賞短縮マラソン」が佐世保市で開かれ、変遷を経て現在も毎年1月に小柳賞佐世保シティロードレース大会として開催されている。
関連項目
[編集]- グリコ (菓子) - 江崎利一と同じ佐賀市蓮池町出身で、「一粒三百メートル」の陸上選手のモデルとの説がある。
参考資料
[編集]- 「長崎県スポーツ史」(1988年、長崎県体育協会長崎県スポーツ史刊行委員会編、長崎県体育協会・長崎新聞社刊)