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宮崎県立小林高等学校

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小林高等学校から転送)
宮崎県立小林高等学校
地図北緯31度59分54.4秒 東経130度58分25.0秒 / 北緯31.998444度 東経130.973611度 / 31.998444; 130.973611座標: 北緯31度59分54.4秒 東経130度58分25.0秒 / 北緯31.998444度 東経130.973611度 / 31.998444; 130.973611
国公私立の別 公立学校
設置者 宮崎県の旗 宮崎県
併合学校 宮崎縣立小林中學校
宮崎縣立小林髙等女學校
校訓 立志鍛練
設立年月日 1921年(大正10年)5月1日
創立記念日 4月26日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 体育コース
探究科学コース
学期 3学期制
学校コード D145220560175 ウィキデータを編集
高校コード 45136D
所在地 886-8505 
宮崎県小林市真方124番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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宮崎県立小林高等学校(みやざきけんりつ こばやしこうとうがっこう)は、宮崎県小林市真方に所在する公立高等学校。通称は「コバ高」。

概要

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歴史
1919年大正8年)創立の高等女学校1921年(大正10年)創立の旧制中学校を前身とする。1948年昭和23年)の学制改革により以上2校が統合され新制高等学校として発足。旧制中学校の開校年を創立年としており、2021年令和3年)に創立100周年を迎える。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
  • 普通コース
  • 体育コース(1学級)
  • 探究科学コース(1学級)
校訓
「立志鍛練」
校章
を3本、「小」の文字になるように並べ、中央に「高」の文字を置いている。
校歌
作詞は黒木和雄、作曲は園山民平による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。歌詞は作詞者の黒木和雄が在学中に作詞したもの。
学習
大量のプリントによる課題学習[1] を特色としている。

沿革・歴史

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旧制中学校(男子校)時代
  • 1921年(大正10年)
    • 4月1日 - 「宮崎県立小林中学校」が開校。入学資格を尋常小学校を卒業した12歳以上の男子、修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。
    • 4月12日 - 授業を開始。
    • 5月1日 - 開校式を挙行。この日を設立記念日とする。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、入学資格が国民学校初等科を卒業した12歳以上の男子に改められる。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1から高1に相当)となる。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行前に入学した生徒(この時の新4年生から)にも修業年限4年が適用されることとなる。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 学制改革により閉校。
旧制高等女学校時代
  • 1919年(大正8年)6月18日 - 「小林町立実科高等女学校」が開校。
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 県立移管により「宮崎県立小林高等女学校」に改称(「実科」が取り除かれる)。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
    • 高等女学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 学制改革により閉校。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革により、以上の旧制中等教育学校2校が統合され、新制高等学校宮崎県立小林高等学校」(現校名)が発足。
      • 通常制(後の全日制課程)普通課程・商業課程・家庭課程を有する総合制の高等学校となった。
      • 旧制中等学校の卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中等学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 旧2校の併設中学校も統合され、「宮崎県立小林高等学校 併設中学校」と称する。在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ入学した3年生のみとなる。
    • 4月26日 - 開校式を挙行。この日を開校記念日とする。
  • 実施年月日不明 - 定時制の野尻分校を設置。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • 7月1日 - 高原分校(定時制農業課程・家庭課程)を設置。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 高原分校を高原校舎とし、通常制(全日制)農業課程畜産科と家庭課程被服科を設置。
  • 1952年(昭和27年)
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 西校舎(商業科)に宮崎県立小林工業高等学校が併設される。
  • 1962年(昭和37年)5月31日 - 宮崎県立小林工業高等学校の校舎が完成し、併設を解消。
  • 1964年(昭和39年)4月1日 - 商業科が分離し宮崎県立小林商業高等学校として独立。
  • 1977年(昭和52年)4月1日 - 野尻分校を全日制課程の分校とする。
  • 1991年(平成3年)4月1日 - 野尻分校(園芸科)の募集を停止。
  • 1993年(平成5年)3月31日 - 野尻分校を廃止。野尻分校の跡地は現在道の駅ゆ〜ぱるのじりとなっている(2001年(平成13年)開業)。
  • 1995年(平成7年)4月1日 - 普通科に体育コースを設置。
  • 1996年(平成8年)4月1日 - 家政科の募集停止。
  • 1998年(平成10年)3月31日 - 家政科を廃止。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 宮崎県立都城きりしま支援学校小林校の高等部が併設される。
  • 2014年(平成26年)4月1日 - 普通科に探究科学コースを設置。
  • 2020年令和2年)4月1日 - 併設の宮崎県立都城きりしま支援学校小林校(高等部)が宮崎県立小林こすもす支援学校(高等部)に改称。

部活動

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駅伝での活躍は全国的に有名で、男子は全国高校駅伝出場52回(全国1位)、優勝7回(全国3位)、入賞29回(全国2位タイ)の実績を誇り、1967年(昭和42年)から1992年(平成4年)までは26年連続出場を果たし、当時の最長記録を持っていた[2]。かつては世羅中京(現・中京大中京)とともに「高校駅伝御三家」と呼ばれた[3][4]。また、女子も出場17回、入賞2回を記録している[5]。近年ではバスケットボール山岳部も好成績を残している。

また、2012年(平成24年)には野球部が第85回記念選抜高等学校野球大会21世紀枠候補に選出された。

運動部
文化部

著名な出身者

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芸能・アナウンサー
スポーツ
政治
行政
学界
文化
その他

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 小林市役所
  • 小林市立図書館
  • 宮崎県小林土木事務所
  • 小林市立小林小学校
  • 小林市立小林中学校
  • 小林税務署
  • 宮崎地方法務局小林出張所
  • 森永貞一郎記念館
  • 小林簡易裁判所
  • カトリック小林幼稚園
  • 小林市立中央保育所
  • 小林郵便局

脚注

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  1. ^ 課題学習
  2. ^ 2004年清風に抜かれ、その清風も2009年に連続出場が途切れて倉敷に抜かれたため、現在は歴代3位タイ
  3. ^ 長岡民男ほか『高校駅伝50年史 - 半世紀、タスキつないで』、出版芸術社、2000年 p.8.
  4. ^ 陸上競技マガジン 2013年2月号 p.169.
  5. ^ 記録は男女とも第64回大会(2013年12月)終了時点
  6. ^ 宮崎日日新聞、2013年1月1日朝刊

関連項目

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外部リンク

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