小林秀雄 (西洋史学者)
人物情報 | |
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生誕 |
1876年11月3日 日本青森県 |
死没 | 1955年1月26日 (78歳没) |
出身校 |
東京帝国大学 立教大学 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(西洋史) |
研究機関 | 國學院大學・立教大学 |
小林 秀雄(こばやし ひでお、1876年(明治9年)11月3日[1][2] - 1955年(昭和30年)1月26日[3])は、日本の西洋史学者。立教大学文学部長、初代史学科長、名誉教授。國學院大學名誉教授。専門は、ギリシャ・ローマ史、西洋史学。
文芸評論家の小林秀雄と同姓同名であり、間違われたエピソードについては、野々上慶一『高級な友情:小林秀雄と青山二郎』(小沢書店、1989年)に詳しい。(書籍名の小林秀雄は、文芸評論家の小林秀雄)
経歴
[編集]1876年、旧会津藩士小林軍雄(ときお)・イシの長男として青森市に生まれる[1]。1888年9月長崎県立長崎中学校に入学、1890年9月東京英語学校(私立) (後の日本中学校、現・日本学園中学校・高等学校)[1]に入学、1893年國學院本科に入学し[4]、1896年卒業[1][5]。1897年、立教学校(現・立教大学)卒業[6]。1898年9月、第二高等学校大学予科文科に入学し、1901年7月卒業[7]。同年9月、東京帝国大学文科大学史学科に入学[8]し、1904年7月卒業[9]。
1904年9月、東北学院教授[1]、1910年6月に辞任し、同年8月立教大学講師となり[3]、1911年7月から國學院大學講師(兼任)。この間、1920年9月から1923年まで國學院大學教授及び予科部長を務める[1]。1923年4月に立教大学教授専任となり[3]、1925年4月に立教大学史学科長(初代)となり、1927年から1932年まで立教大学予科長を務める[1]。1936年、立教大学評議員、1937年4月1日に立教大学文学部長となり、1942年3月31日、停年により、文学部長及び史学科長を辞任。1942年9月30日、立教大学を退職。同10月1日、立教大学名誉教授。同年2月國學院大學に教授として復職し、学部学監・教学部長として戦時下おいて学長であった佐佐木行忠を支えた[4]。1954年1月、國學院大學教授を辞任、同月名誉教授[4]。 1955年1月26日、脳軟化症[3]により杉並区馬橋の自宅にて死去。
著書
[編集]単著
[編集]- 『日本帝國史講義 全』大日本神祇学会編、大日本神祇学会出版部刊、1915年
- 『西洋史講義』、大日本神祇学会出版部刊
- 『日本歴史の学び方と答案の書き方』三宅書店(三宅荘蔵書店)、1920年
- 『東洋歴史の学び方と答案の書き方』三宅書店(三宅荘蔵書店)、1920年
- 『西洋歴史の学び方と答案の書き方』三宅書店(三宅荘蔵書店)、1920年
- 『希臘古代文化史』啓明社、1928年
- 『希臘文化史』白東社、1932年
- 『羅馬文化史』白東社、1932年
- 『ローマの文化:ラジオ新書61』日本放送出版協会、1941年
- 『民族と歴史と教育:教育新体制の書第10』小学館、1942年
共著
[編集]- 『世界史講義』横山達三講述、大日本普通学講習会編、嵩山堂、1913年
翻訳
[編集]- ベルンハイム・エルンスト『史学研究法』立教大学史学研究室、1928-1942(機関誌『史苑』に掲載)
- フリツツ・グレーブナー『民族学研究法』十字屋書店、1940年
参考文献
[編集]- 署名無し「國學院卒業式」『國學院雑誌』第2巻第9号、國學院、1896年、100頁、NCID AN00087221。
- 署名無し 著「小林教授略年譜」、立教大学史学会 編『小林教授還暦記念史学論叢』立教大学史学会、1938年、1-2頁。 NCID BA33577404。
- 立教大学史学会 編『立教大学史学会小史』立教大学史学会、1967年。 NCID BN08958146。
- 古山悟由 (2022年1月22日). “立教史学の生みの親、小林秀雄”. 國學院大學. 2022年1月25日閲覧。
- 立教大学史学会編『史苑:小林教授還暦記念史学論叢』第11巻第3・4号、立教大学史学会、1938年
- 國史学会編「故小林秀雄教授著作目録」『國史学』第65号、國史学会、1955年
- 手塚隆義「前史学科長小林秀雄教授の逝去」『史苑』第16巻第1号、立教大学史学研究室、1955年
- 立教大学文学部史学研究室編『面影:小林秀雄先生追悼録』立教大学文学部史学研究室、1957年
- 立教大学史学会編『史苑:100号記念特集立教大学史学小史』第28巻第1号、立教大学史学会、1967年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 署名無し 1938
- ^ 小林秀雄『ローマの文化』日本放送出版協会〈ラジオ新書〉、1941年12月20日、172頁。NDLJP:1042636/92。
- ^ a b c d 立教大学史学会 1967, p. 51
- ^ a b c 國學院大學『立教史学の生みの親、小林秀雄』
- ^ 1896年の國學院の卒業生の氏名と卒業論文の論題として 「上代に於ける朝鮮と日本との政治上の関係を論ず 東京府士族 小林秀雄」とある(署名無し 1896)。
- ^ 『立教大学新聞 第79号』 1951年(昭和26年)7月20日
- ^ 『官報』第5401号、明治34年7月5日、p.104.NDLJP:2948700/5
- ^ 『官報』第5482号、明治34年10月9日、p.216.NDLJP:2948781/9
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治37年至明治38年』東京帝国大学、1904年12月25日、170頁。NDLJP:813181/281。