小林源蔵
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小林 源蔵(こばやし げんぞう、慶応3年3月6日(1867年4月10日) - 大正10年(1921年)1月9日)は、日本の鉄道官僚、衆議院議員(立憲政友会)。位階勲等は正四位勲三等。
経歴
[編集]出羽国旧米沢藩士の秋山家に生まれ、小林家の養子となった。1894年(明治27年)、東京帝国大学法科大学を卒業。逓信省に入り、鉄道書記となった。1897年(明治30年)、鉄道事務官に昇進。1902年(明治35年)から翌年にかけて欧米各国の鉄道事務を視察した。
日露戦争が勃発すると野戦鉄道経理部庶務課長に任命されたが、戦地に赴く途中、乗船していた佐渡丸がロシアの攻撃を受け、捕虜となった。1年半にわたって虜囚生活を送ったが、1905年(明治38年)に帰国することができた。帰国後は鉄道庁参事、鉄道員理事を歴任した。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。3回の当選を重ねた。死去前年の1920年(大正9年)2月10日付で白山水力の代表取締役社長に選出されている[1]。墓所は多磨霊園(10-1-9)
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 清田伊平編『御大典記念 日本ダイレクトリー』甲寅通信社、1915年。