コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小林武史 (ヴァイオリニスト)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林 武史
生誕 (1931-02-11) 1931年2月11日(93歳)
出身地 インドネシアの旗 インドネシアスマトラ島
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン
公式サイト 公式HP「ヴァイオリニスト 小林武史の世界」

小林 武史(こばやし たけし、1931年2月11日 - )は、日本ヴァイオリニスト

人物・来歴

[編集]

インドネシアスマトラ島出身[1]。当時父親の小林米作コダックのスマトラ店で働いていた。

1941年、鈴木鎮一に師事。

1949年、第18回毎日音楽コンクールヴァイオリンの部 第1位。

1953年、ハチャトゥリアンのヴァイオリンコンチェルトを日本初演。

1955年、東京交響楽団コンサートマスターに就任。

1961年、ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任。

1964年、オーストリア・リンツ・ブルックナー管弦楽団のコンサートマスターに就任。

1967年、読売日本交響楽団のコンサートマスターに就任。

1969年、ショスタコーヴィチのヴァイオリンコンチェルト第2番を日本初演。

1979年、伊福部昭のヴァイオリン協奏曲第2番をチェコスロヴァキア国立ブルノ・フィルハーモニーで初演。

1983年、チェコスロヴァキア・ブルノ市国際音楽祭で團伊玖磨のファンタジアをブルノ・フィルハーモニーと世界初演。

1988年度、第43回文化庁芸術祭賞(音楽部門)受賞。1996年度、第51回同賞(音楽部門大賞)受賞[2]

精力的に海外演奏活動を行い、国際交流基金文化使節としても活躍。ヴェネズエラでのスズキ・メソードに基づいた教育活動が、同国の文化政策エル・システマ成立に大きな役割を果たした[3]

コレギウム・ムジクム東京主宰、宮城・中新田バッハホール音楽院院長。

家族

[編集]

父は、科学映画制作者の小林米作

実弟に、同じくヴァイオリニストの小林健次(東京都交響楽団 元ソロ・コンサートマスター、桐朋学園大学教授)。

著書

[編集]
  • 『ヴァイオリン一挺、世界独り歩き』芸術現代社、1980年
  • 『ファンタジア わが人生』神奈川新聞社、2013年

脚注

[編集]

注釈・出典

[編集]
  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.508
  2. ^ 文化庁芸術祭賞受賞一覧 Archived 2010年12月27日, at the Wayback Machine.」『文化庁』。
  3. ^ 山田真一『エル・システマ - 音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策』(教育評論社、2008年) ISBN 9784905706335

外部リンク

[編集]