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小寺成蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こでら せいぞう

小寺 成蔵
生誕 1852年6月
日本の旗 日本
死没 不明
住居 岐阜県安八郡大垣町[1]
神戸市中央区熊内町[2]
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 実業家
活動期間 19世紀
著名な実績 尼崎紡績創立・大日本紡績誕生
活動拠点 日本の旗 日本
純資産 素封家
肩書き 大日本紡績紡績 監査役
配偶者 小寺しげ
子供 小寺敬一 (長男)
小寺源吾 (養子)
親戚 西村権兵衛 (養子小寺源吾の実父)
西村喬 (同小寺源吾の実兄)
小寺武四郎 (孫)
小寺新六郎 (孫)
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小寺 成蔵(こでら せいぞう、1852年嘉永5年)6月 - 没年不明)は、日本実業家岐阜県安八郡大垣町[1])・兵庫県神戸葺合熊内町[2])の士族尼崎紡績監査役。関西学院高等商業学部教授・小寺敬一は長男(スペイン風の同本邸、同六甲山荘で知られる)、大日本紡績社長・小寺源吾は養子。

略歴

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初代大垣商工会議所代議員を務め[3]、美濃実業銀行の中心人物であった[4]。大阪電気分銅会社社長を辞任した後、同社平取締役となり、1879年 (明治31年) 4月、大垣共立銀行を代表して、尼崎紡績監査役に選任される。自邸は神戸市中央区熊内町にあった[5][6][2][7]

系譜

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小寺家は大垣戸田藩勘定方家老の家系であった。

脚注

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関連項目

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