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小坂雄太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日[1] - 1990年8月21日)は、日本経営者信越化学工業創業者小坂順造の甥で、信越化学工業社長を務めた。勲二等瑞宝章受章。

経歴

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長野県上水内郡柳原村(現長野市)出身[1]。地元の地方財閥の信越化学工業創業家小坂一族に生まれる。旧制長野中学旧制松本高校を経て、1943年京都帝国大学工学部機械工学科を卒業[1]。海軍技術大尉を経て、1945年信越化学工業に入社[1]

取締役、常務を経て、1975年8月に専務に就任し、1983年8月に社長に昇格[1]

1990年8月21日肝不全のために死去[2]。70歳没。同日勲二等瑞宝章受章[3]。従兄に小坂善太郎小坂徳三郎、従弟に小坂健介(信濃毎日新聞社社長)、岳父に舞出長五郎がいる[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1985, こ22頁.
  2. ^ 1990年 8月22日 日本経済新聞 朝刊 p35
  3. ^ 官報平成2年本紙第467号 10頁
  4. ^ 長野県人名鑑 p.194

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 上』人事興信所、1985年。 
  • 信濃毎日新聞社 編『長野県人名鑑』
先代
小田切新太郎
信越化学工業社長
1983年 - 1990年
次代
金川千尋