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小原益知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小原 益知(おおはら ますとも)は、日本の建築家。 海軍兵学校生徒館の建築掛を皮切りに、海軍関連や琵琶湖疏水の諸施設、地方庁関連の建築工事を数多く手掛けた。

経歴

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学歴

1881(明治14)年、工部大学校造家学科を卒業(第3期生)。同期に坂本復経. 久留正道卒業制作は「AN ARMY AND NAVY CLUB」。

経歴

卒業後内務省に奉職。土木局に所属。1888(明治21)年、県庁舎移転計画に関与するため内務省から滋賀県に出向[1][2]。このとき琵琶湖疏水設計にも関与。

1890(明治23)年、海軍省に移籍し海軍技師補[3]。建築部門の責任者となる[4]。1891年に海軍四等技師[5]。1896年に台湾総督府に移籍[6]。1897年、台湾総督府人政局臨時土木部技師[7]。1897年1月から同年10月まで営繕課長を務めたが、1898年離職[8]。その後東京市営繕課長に転籍。

代表作品

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  • 滋賀県旧庁舎[2](1888(明治21)年6月、大津市東浦)
  • 琵琶湖疏水大津閘門・第二琵琶湖疏水のトンネル出口
  • 琵琶湖第一疏水第一隧道入口部洞門(1889(明治22)年、京都市)
  • 琵琶湖疏水第三トンネル西口 (1888年、京都市): 設計者田辺朔朗に協力[2] (PDF) [3] (PDF)
  • 旧海軍兵学校生徒館(1893(明治26)年竣工、広島県江田島町): 海上自衛隊幹部候補生学校。曾禰達蔵
  • 旧麻布区役所監督(1909(明治42)年竣工、東京市麻布区、現港区): 設計は小林鶴吉(東京市技師)。現在一部は日本獣医生命科学大学校舎。1937(昭和12)年移築。

脚注

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  1. ^ [1] (PDF)
  2. ^ a b 松浦健治郎, 巌佐朋広, 浦山益郎、「明治・大正期における官庁街の立地特性と都市デザイン手法の解読」 『都市計画論文集』 2006年 41.3巻 p.917-922, doi:10.11361/journalcpij.41.3.917
  3. ^ 1890年11月14日官報
  4. ^ 中島久男、「明治期における海軍省営繕組織の沿革について : 明治期における海軍省営繕組織の史的研究 その1」 『日本建築学会計画系論文集』 1998年 63巻 514号 p.225-232, doi:10.3130/aija.63.225_3
  5. ^ 1891年02月16日官報
  6. ^ 1896年12月15日官報
  7. ^ やまだあつし、「台湾総督府土木局の技師について」 『名古屋市立大学人文社会学部研究紀要』 2001年 10巻 p.191-200, ISSN 1342-9310
  8. ^ 西澤泰彦、「日本帝国内の建築に関する物・人・情報の流れ」 『国際政治』 2006年 2006巻 146号 p.39-53,L7, doi:10.11375/kokusaiseiji1957.146_39