小倉元廉
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文6年(1537年) |
死没 | 慶長6年7月14日(1601年8月12日) |
改名 | 内藤元廉、小倉元廉 |
別名 | 孫次郎、孫市、善右衛門(通称)、元信 |
官位 | 木工助、越中守 |
主君 | 毛利元就、輝元 |
氏族 | 藤原北家利仁流安芸内藤氏、清和源氏満政流小倉氏 |
父母 |
父:内藤元方 小倉元悦 |
兄弟 | 内藤元栄、元廉、武安教織 |
妻 | 小倉元悦娘 |
子 | 元位、波多野弥次右衛門 |
小倉 元廉(おぐら もとかど)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。諱は元信とも。
生涯
[編集]天文6年(1537年)、安芸内藤氏の内藤元方の三男として誕生。兄は内藤元栄。
永禄10年(1567年)4月7日、毛利元就の側近であった小倉元悦が死去。元悦に男子はいなかったため、元廉が婿養子として家督を相続し、永禄11年(1568年)11月24日、毛利輝元から加冠状を受ける。
天正17年(1589年)1月14日、毛利輝元から「越中守」の受領名を与えられる。
慶長6年(1601年)7月14日に死去。享年65。嫡男の元位が後を継いだ。