対馬市立豆酘小学校
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対馬市立豆酘小学校 | |
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北緯34度07分10秒 東経129度11分13秒 / 北緯34.119472度 東経129.186944度座標: 北緯34度07分10秒 東経129度11分13秒 / 北緯34.119472度 東経129.186944度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区豆酘小学校 公立中等小茂田小学校豆酘分校 豆酘学区下等豆酘小学校 簡易豆酘小学校 豆酘尋常小学校 豆酘尋常高等小学校 豆酘国民学校 豆酘村立豆酘小学校 厳原町立豆酘小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
併合学校 |
厳原町立浅藻小学校 対馬市立豆酘小学校瀬分校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)6月1日[1] |
創立者 | 鈴木昌光 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002534 |
所在地 | 〒817-0154 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
対馬市立豆酘小学校(つしましりつ つつしょうがっこう, Tsushima City Tsutsu Elementary School)は長崎県対馬市厳原町豆酘にある公立小学校。対馬最南端にある小学校である。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区豆酘小学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。
- 校章
- 中央に校名の略称「豆小」(縦書き)の文字を置いている。
- 校区
- 住所表記で対馬市厳原町の後に「豆酘、浅藻(あざも)、豆酘瀬、佐須瀬」の続く地域。中学校区は対馬市立豆酘中学校[2]。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)6月1日[1] - 豆酘に私塾が開校。間もなく「第五大学区第四中学区豆酘小学校」と改称。
- 1877年(明治10年)- 廃寺・自湛院(現・永泉寺[6]南側)を校地と定める。
- 1879年(明治12年)3月8日 - 小茂田小学校に統合され、「公立中等小茂田小学校豆酘分校」となる。
- 1881年(明治14年)- 学区改正に伴い、小茂田学区から豆酘学区に変更。また小茂田小学校から独立し、「豆酘学区下等豆酘小学校」となる。
- 1886年(明治19年)6月 - 小学校令により、簡易科を設置し、「簡易豆酘小学校」と改称。
- 1891年(明治24年)9月 - 小学校令改正に伴い、「豆酘尋常小学校」と改称。
- 浅藻分校と瀬分校を設置。後に内山分校を設置。
- 1898年(明治31年)11月 - 天道地に校舎が完成。
- 1899年(明治32年)4月12日 - 高等科を併置し、「豆酘尋常高等小学校」と改称。
- 1912年(明治45年)3月31日 - 3分校を廃止。
- 1917年(大正6年)
- 1920年(大正9年)9月 - 豆酘実業補習学校を併設。
- 1923年(大正12年)4月7日 - 豆酘実業補習学校において男女青年を対象に夜間授業を行う。
- 1925年(大正14年)7月2日 - 図書室が完成。
- 1926年(大正15年)2月15日 - 豆酘校父兄会が発足。
- 1932年(昭和7年)10月19日 - 併設の実業補習学校を青年訓練認定豆酘実業補習学校とする。
- 1934年(昭和9年)12月6日 - 児童数増加のため増改築を行う。尋常科1年生は豆酘村役場、3・4年生は永泉寺、高等科は金剛院、その他は本校校舎で分散授業を開始。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令により、併設の青訓認定豆酘実業補習学校を豆酘青年学校とする。
- 1941年(昭和16年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)5月27日 - 旧・いだりごう兵舎を高等科が使用開始。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施。
- 1948年(昭和23年)5月26日 - 保護者会が解散し、育友会(PTA)が発足。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)2月24日 - 新校舎建設(第一期工事)に着工。
- 1961年(昭和36年)4月10日 - 新校舎(第二期工事)が完成。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 厳原町立久田小学校から瀬分校が移管される。(1912年(明治45年)に久田小学校に移管して以来、50年ぶりに豆酘小学校に戻ってくる。)
- 1967年(昭和42年)10月23日 - 準給食から完全給食となる。
- 1968年(昭和43年)5月1日 - 厳原町立豆酘幼稚園を併設[9]。
- 1972年(昭和47年)2月15日 - 校旗を制定。
- 2000年(平成12年)
- 3月31日 - 厳原町立浅藻小学校(北緯34度6分27.9秒 東経129度12分31.9秒 / 北緯34.107750度 東経129.208861度)を統合。
- この年 - 現在地(豆酘中学校の旧校地)に新校舎が完成し、移転を完了[10]。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 市町村合併に伴い、「対馬市立豆酘小学校」(現校名)に改称。
- 2008年(平成20年)3月31日 - 瀬分校(北緯34度8分58.8秒 東経129度11分7.01秒 / 北緯34.149667度 東経129.1852806度)を廃止し、本校に統合。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 対馬交通 「豆酘」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
[編集]- 学校・文化施設
- 対馬市立豆酘中学校
- 豆酘地区公民館
- 金融機関・郵便局
脚注
[編集]- ^ a b 「長崎縣教育史 上巻」(1943年(昭和18年)9月, 長崎縣教育會)p.560
- ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
- ^ 2代目指導者は国分慎太郎、その後は厳原小学校より交替で教員が派遣される形となる
- ^ 小茂田学区は小茂田部・久田部・鶏知部の一部(尾崎・加志)から成っていた。
- ^ 対馬市立大調小学校の前身。
- ^ a b 対馬市厳原町豆酘2629番地
- ^ 現・対馬市厳原町豆酘3342番地
- ^ この時同時に久田村、佐須村も厳原町に編入された。
- ^ 後に移転。2011年(平成23年)3月31日に閉園。
- ^ 旧校地(北緯34度7分30.1秒 東経129度10分58.7秒 / 北緯34.125028度 東経129.182972度)には現在、対馬市消防署豆酘分遣所が建っている。なお旧校地そばの対馬交通のバス停留所の名称は「旧小学校前」となっている。
参考文献
[編集]- 「厳原町教育史」(1972年(昭和47年)3月25日 厳原町教育委員会)
- 「厳原町史」(1997年(平成9年)3月31日発行 厳原町)