対馬市立東部中学校
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対馬市立東部中学校 | |
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北緯34度27分37.541秒 東経129度22分37.34秒 / 北緯34.46042806度 東経129.3770389度座標: 北緯34度27分37.541秒 東経129度22分37.34秒 / 北緯34.46042806度 東経129.3770389度 | |
過去の名称 |
峰村立東部中学校 峰町立東部中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
併合学校 |
峰町立志多賀中学校 対馬市立南陽中学校 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C142210001383 |
所在地 | 〒817-1412 |
長崎県対馬市峰町佐賀111番地 | |
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対馬市立東部中学校(つしましりつ とうぶちゅうがっこう, Tsushima City Tobu Junior High School)は、長崎県対馬市峰町[1]佐賀(さか)にある公立中学校。
概要
[編集]沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
- 1950年(昭和25年)11月 - 峰村佐賀618番地に校舎を新築し、移転。
- 旧・鶏知(けち)重砲連隊の被服庫の払い下げを受け移築しようとしたが、それだけでは足りず、地元の有力者所有の桧を使用して建設された。
- 1954年(昭和29年)
- 4月1日 - 志多賀分校が分離し、峰村立志多賀中学校として独立。
- 4月 - 校門除幕式を挙行。
- 1959年(昭和34年)9月 - 台風14号により大きな被害を受け、修理を行う。
- 1962年(昭和37年)度 - 特別教室を整備。
- 1963年(昭和38年)- 職員室を増築。
- 1965年(昭和40年)5月 - へき地集会場(講堂・雨天体操場)が完成。
- 1966年(昭和41年)
- 4月 - 給食調理室が完成。ミルク・パンの給食を開始。
- 5月2日 - 完全給食を開始。
- 1967年(昭和42年)度 - 在籍生徒数が最大の169名(6学級)を記録。
- 1976年(昭和51年)
- 4月1日 - 峰町の発足に伴い、「峰町立東部中学校」に改称。
- この年 - 特別教室棟を増築。
- 1967年(昭和51年)- 県道拡幅工事のため、校地・校舎の移転が決定。同年9月より新校舎の建設が開始。
- 1977年(昭和52年)
- 8月 - 現在地に新校舎が完成。旧校舎退去式を挙行。跡地には1983年(昭和58年)に中対馬開発総合センター(北緯34度27分26.5秒 東経129度22分7.5秒 / 北緯34.457361度 東経129.368750度)が建設された。
- 9月 - 新校舎への移転を完了。
- 1979年(昭和54年)
- 3月 - 体育館が完成。
- 6月 - 新校門除幕式を挙行。
- 1980年(昭和55年)8月 - 運動場拡張工事が完了。
- 1985年(昭和60年)- 峰町立佐賀小学校の隣接地に東部学校給食共同調理場が完成し、給食が配送されるようになる。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 峰町立志多賀中学校(北緯34度28分58.2秒 東経129度23分49.3秒 / 北緯34.482833度 東経129.397028度)を統合。志多賀中学校の最終年度の在籍生徒数は3年生を含めて32名。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の誕生により、「対馬市立東部中学校」(現校名)となる。
- 2011年(平成23年)4月1日 - 対馬市立南陽中学校(北緯34度33分30.3秒 東経129度27分25.8秒 / 北緯34.558417度 東経129.457167度)を統合。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 対馬交通 - 「佐賀診療所前」、「診療所前」バス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 対馬市発足の前は「みねちょう」と読んでいたが、対馬市発足後は「みねまち」と読むようになった。
- ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト