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寺田甚与茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寺田甚与茂
自泉会館の寺田甚与茂像

寺田 甚与茂(てらだ じんよも、嘉永6年10月24日1853年11月24日[1] - 昭和6年(1931年11月23日)は、日本実業家。弟は寺田元吉

略歴

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大正全国富豪番付で西日本21位(八百万円)だった寺田甚与茂

大阪出身。江戸時代から創業した岸和田市の酒造業・寺田家の長男。質屋店員から一代で巨富を築き、寺田財閥を形成。1881年第五十一国立銀行創立委員となり、頭取も務めた。以後、南海鉄道岸和田紡績(後の大日本紡績、現・ユニチカ)などの各社長を歴任し、岸和田の近代化推進に貢献した。

甚与茂の死去後、長男の甚吉は南海鉄道、岸和田紡績などの社長を務めた。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 『関西財界外史 戦前篇』関西経済連合会、1976年、p.178。