コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

寺田恵子のオールナイトニッポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オールナイトニッポン > 寺田恵子のオールナイトニッポン

寺田恵子のオールナイトニッポン(てらだけいこのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送深夜放送オールナイトニッポンの木曜2部(毎週木曜日深夜27:00~29:00)で放送されていたラジオ番組

メインパーソナリティはSHOW-YAのボーカル、寺田恵子

概要

[編集]

放送期間は1986年4月から1987年9月まで。「寺田恵子の~」とタイトルには有るが、実際にはSHOW-YAのメンバーも全員レギュラー出演していた。そのためか、はがきの宛先告知の時には「SHOW-YA寺田恵子のオールナイトニッポン」と紹介していた。

初期の頃は毎週メンバー全員が出ていたが[1]、後期には寺田のみ毎週出演となり、他のメンバーは寺田より年上の中村美紀&五十嵐美貴、寺田と同い年の仙波さとみ&角田美喜の二組に分かれて隔週で出演するようになっていた。

午前3時の時報が鳴っても、トークから始まらずにまず曲を1曲かけ、曲が終わってからあいさつ、トークという流れになっていた。あいさつは「こんばんは」ではなく「おはようございまーす」であり、エンディングでは「今日も元気で行ってらっしゃーい」と言うのが通例だった。曲は毎週13曲前後ほどオンエア、かかる曲は洋楽が多かった。

番組の構成作家を務めていたのは、当時FM横浜アール・エフ・ラジオ日本などでDJも担当していたヘヴィメタル評論家、和田誠[1]

なお、出演者が女性だけのライブイベント『NAONのYAON』は、この番組でのフリートークがきっかけとされている。THE ALFEEが東京のベイエリアで観客10万人規模のコンサートを開催すると聞いたことに「悔しくて、負けたくない」と思い、「うち等で、女性だけでコンサートをやりたい」と話したことから構想が膨らんでいったものだった[2][3]

主なコーナー

[編集]

(出典:[1]

歌謡曲はロックしている

[編集]

歌謡曲と言えども「これはロックだ」と思える曲をかけるコーナー。

迷信コーナー

[編集]

夜食コーナー

[編集]

リスナーからお薦めの夜食の品、作り方などを募集していた。

アマチュア養成コーナー

[編集]

アマチュアバンドからデモテープを募集し、それを流しながらSHOW-YAのメンバーが適切なアドバイスをしていくコーナー。SHOW-YAと同じガールズバンドからの応募も多かった[2]

VS(ヴイエス)コーナー

[編集]

毎週決められた「何VS何」のお題に沿ってリスナーはどっちを支持するかの意見を投稿し、最後は寺田らがどっちの勝ちかを決めるコーナー。

ありがたやのコーナー

[編集]

リスナーから贈られて来た物を紹介するコーナー。お土産や酒などごく普通の物から、会社の不採用通知や婚姻届まで送られて来た時もあった。守屋浩の「ありがたや節」がコーナーテーマ曲として流れていた。

アダルトコーナー

[編集]

(中村美紀、五十嵐美貴出演時の隔週コーナー)

SATOちゃん・MITTANのおもしろ体験談コーナー

[編集]

(仙波さとみ、角田美喜出演時の隔週コーナー)

ミッドナイト・ヘドバンタイム

[編集]

ラジオの前でヘッドバンギングしそうな曲をオンエア。

リスナーズリクエスト

[編集]
木曜2部
前担当
寺田恵子のオールナイトニッポン
木曜 27:00 - 29:00
次担当
うじきつよし
(月曜2部から移動)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c ラジオパラダイス 1986年7月号 特集「オールナイトニッポン2部完全チェック」より。
  2. ^ a b 日本懐かしラジオ大全(辰巳出版、2021年11月5日初版発行)p.54
  3. ^ SHOW-YA寺田恵子が語る『NAONのYAON』 「野音は人に何かを伝えるためにぴったりの場所」」『NEWSポストセブン』2023年9月18日。2023年9月18日閲覧。