寺山南山古墳
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寺山南山古墳 | |
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所属 | 百舌鳥古墳群 |
所在地 | 大阪府堺市西区上野芝町1丁 |
位置 | 北緯34度33分21.70秒 東経135度28分48.25秒 / 北緯34.5560278度 東経135.4800694度座標: 北緯34度33分21.70秒 東経135度28分48.25秒 / 北緯34.5560278度 東経135.4800694度 |
形状 | 方墳 |
規模 |
44.7m×39.2m 高さ4.7m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 須恵器・埴輪 |
築造時期 | 5世紀初頭 |
史跡 |
国の史跡「百舌鳥古墳群」に包含 世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」に包含 |
地図 |
寺山南山古墳(てらやまみなみやまこふん)は、大阪府堺市西区上野芝町にある古墳。形状は方墳(長方形墳)。百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され(史跡「百舌鳥古墳群」のうち)、ユネスコの世界文化遺産に登録されている(「百舌鳥・古市古墳群」のうち)。
概要
[編集]ミサンザイ古墳(履中天皇陵)後円部北東側の外濠に接して築造された古墳である。墳丘上に宅地が建設されて改変されているほか、1999年度(平成11年度)以降に発掘調査・地中レーダー探査が実施されている[1]。
墳形は方形(長方形)で、長辺44.7メートル・短辺39.2メートル・高さ4.7メートルを測る[2]。墳丘は2段築成[2]。墳丘外表には葺石・円筒埴輪列が認められるほか、最古級の須恵器が採集されている[3]。墳丘南東側には長辺9.9メートル・短辺3.4メートルの造出を有し、付近から埴輪列とともに家形埴輪・囲形埴輪が検出されている[2]。また墳丘周囲には幅6-8.5メートルの周濠が巡らされており、周濠の一部はミサンザイ古墳と共有する[2]。埋葬施設・副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀初頭頃と推定される[2]。百舌鳥古墳群では数少ない方墳の1つであり、ミサンザイ古墳と周濠が重なることから、ミサンザイ古墳と密接な関わりを持つ古墳(陪塚)と想定される古墳になる。
古墳域は2014年(平成26年)に国の史跡に指定されている(史跡「百舌鳥古墳群」のうち)。
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円筒埴輪・朝顔形埴輪・須恵器片
堺市博物館展示。
遺跡歴
[編集]- 1926年(大正15年)、測量図の報告(当時には方墳と認識)[3]。
- 1961年(昭和36年)、墳丘上に宅地の建設[3]。
- 1999年度(平成11年度)、発掘調査(堺市教育委員会)。
- 2000年度(平成12年度)、発掘調査:TYM-2地点(堺市教育委員会、2002年に報告)。
- 2008年度(平成20年度)、発掘調査:TYM-3地点(堺市教育委員会、2010年に報告)。
- 2010年度(平成22年度)、地中レーダー探査、発掘調査:TYM-4地点(堺市教育委員会、2012年に報告)。
- 2014年(平成26年)3月18日、既指定の古墳7基を統合し、寺山南山古墳含む古墳10基を追加指定して、指定名称を「百舌鳥古墳群」に変更[1]。
- 2017年度(平成29年度)、発掘調査:TYM-5地点(堺市教育委員会、2018年に報告)。
- 2019年(令和元年)7月6日、ユネスコの世界文化遺産に登録(「百舌鳥・古市古墳群」のうち)。
関連施設
[編集]- 堺市博物館(堺市堺区百舌鳥夕雲町) - 寺山南山古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(堺市設置)
- 「寺山南山古墳」『堺の文化財 百舌鳥古墳群』堺市文化観光局文化部文化財課〈第7版〉、2014年。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「寺山南山古墳 TYM-2地点」『平成13年度 国庫補助事業発掘調査報告書』堺市教育委員会、2002年。
- 「寺山南山古墳 TYM-3地点」『百舌鳥古墳群の調査3』堺市教育委員会、2010年。
- 「寺山南山古墳 TYM-4地点」『百舌鳥古墳群の調査6』堺市教育委員会、2012年。
- 『百舌鳥古墳群の調査12 -寺山南山古墳(TYM-5)発掘調査報告書-』堺市教育委員会、2018年。