寺倉小四郎
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寺倉 小四郎 | |
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生誕 |
1898年6月24日 日本 岐阜県 |
死没 | 1983年10月5日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1920年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
寺倉 小四郎(てらくら こしろう、1898年(明治31年)6月24日[1] - 1983年(昭和58年)10月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1898年(明治31年)に岐阜県で生まれた[1]。陸軍士官学校第32期、陸軍大学校第41期卒業[1]。1938年(昭和13年)3月に北支那方面軍参謀に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。1939年(昭和14年)10月に第40師団参謀長(第11軍)に転じ[2]、宜昌作戦などに参加した[1]。1940年(昭和15年)8月に陸軍大学校教官に転じ[2]、1941年(昭和16年)3月1日に陸軍大佐に進級[2]。11月6日に第15軍高級参謀(南方軍)に着任し[2]、ビルマ侵攻に参加した[1]。1942年(昭和17年)9月に陸軍大学校兵学教官に転じ[3]、1944年(昭和19年)8月に歩兵第67旅団長(北支那方面軍・第63師団)に就任し[2]、北京に駐屯した[1]。
1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]、4月6日に第55軍参謀長に就任し[1]、6月21日に第2総軍総司令部附となり[1]、本土決戦に備えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。