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出雲 (列車)

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寝台特急いなばから転送)

サンライズ出雲
285系電車による「サンライズ出雲」 (2022年10月 黒坂駅 - 根雨駅間)
285系電車による「サンライズ出雲」
(2022年10月 黒坂駅 - 根雨駅間)
概要
日本の旗 日本
種類 寝台特別急行列車
現況 運行中
地域 東京都神奈川県静岡県愛知県岐阜県滋賀県京都府大阪府兵庫県岡山県鳥取県島根県
前身 寝台特急「出雲」
運行開始 1998年7月10日[1]
運営者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
東日本旅客鉄道(JR東日本)
路線
起点 東京駅
終点 出雲市駅
営業距離 953.6 km (592.5 mi)(東京 - 出雲市間)
平均所要時間 約12時間
運行間隔 1往復
列車番号 5031M → 4031M(下り列車)
4032M → 5032M(上り列車)
岡山駅で列車番号を変更
使用路線 JR東日本:東海道本線東海道線 (JR東日本)
JR東海:東海道本線(東海道線 (静岡地区)東海道線 (名古屋地区)
JR西日本:東海道本線(琵琶湖線JR京都線JR神戸線)・山陽本線(JR神戸線)・伯備線山陰本線
車内サービス
クラス A寝台B寝台普通車
身障者対応 B寝台「シングルツイン」(バリアフリー対応):2 / 9号車
座席 普通車指定席「ノビノビ座席」(簡易寝台):5 / 12号車
就寝 A寝台「シングルデラックス」:4 / 11号車
B寝台「ソロ」:3 / 10号車
B寝台「シングル」:1・2・5 - 7 / 8・9・12 - 14号車
B寝台「シングルツイン」:1・2・6・7 / 8・9・13・14号車
B寝台「サンライズツイン」:4 / 11号車
展望 ミニラウンジ:3 / 10号車
その他 シャワー室:3・4 / 10・11号車
技術
車両 285系電車(JR東海大垣車両区・JR西日本後藤総合車両所出雲支所
軌間 1,067 mm
電化 直流1,500 V
最高速度 130 km/h
テンプレートを表示

サンライズ出雲(サンライズいずも)は、東京駅 - 出雲市駅間を、東海道本線山陽本線伯備線山陰本線を経由して運行している寝台特別急行列車である。

なお、「サンライズ出雲」の母体となった列車で、主に東京 - 出雲市・浜田間を東海道本線・山陰本線経由で運行していた寝台特急「出雲」(いずも)、および首都圏山陰地方を結んでいた優等列車についてもここで記述する。

概要

「サンライズ出雲」は、1998年7月に[1] それまで14系客車(いわゆるブルートレイン)によって運転されていた寝台特急「出雲」2・3号を、新たに製造した285系電車に置き換える形で運転を開始した。「出雲2・3号」時代は全区間単独運転であったが、東京 - 岡山間は同じく寝台特急「瀬戸」から置き換えられた「サンライズ瀬戸」とともに併結運転されるようになった。

「サンライズ出雲」運行開始後も2006年3月17日(始発駅発車日)までは、東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両で運行する「出雲」(旧1[2]・4号。鳥取駅経由)がもう1系統として継続して運転されていたが、利用客が低迷し車両の老朽化も進んだため、同日をもって廃止された。鳥取県は廃止に対し、県庁所在地である鳥取駅から東京駅へ直通する列車の消滅を理由に最後まで反対した(ウィキニュースの記事も参照)。鳥取県内で寝台列車が停車するのは、唯一「サンライズ出雲」の米子駅のみとなっている。

また、東海道本線全線(支線を除く)にわたって運行される唯一の定期旅客列車でもある。

2016年3月21日(到着)をもって臨時寝台特急「カシオペア」が運行終了、翌22日(到着)をもって急行「はまなす」が最終運行[3] となったため、3月23日以降「サンライズ瀬戸」とともにJR線を走行する唯一、定期運行を行う寝台特急列車でかつ、夜行列車となった。

2015年3月ダイヤ改正前より日本語英語の二か国語で車内自動放送が行われている。JR西日本の在来線特急列車としては本列車と「はるか」、「サンライズ瀬戸」、「サンダーバード」の一部でのみ行っており、寝台特急列車への導入はカシオペアに次いで二例目である。

列車名の由来

愛称は、島根県東部の旧国名である「出雲国(いずも/いづも のくに)」に由来する。2往復のうち1往復を285系電車で置き換えた際、イメージの刷新に加え、客車列車のまま存置されたもう1往復との区別の意味も含め、置き換えた列車に同形式の愛称である「サンライズエクスプレス」の一部を冠することとなった。

運行概況

伯備線を介して首都圏と岡山県鳥取県西部・島根県東部を結んでおり、東京駅 - 出雲市駅間で約12時間をかけ毎日1往復運転されている。東京駅 - 岡山駅間は「サンライズ瀬戸」と併結運転される。

列車番号は区間により異なり、東京 - 岡山間は併結相手の「サンライズ瀬戸」に合わせて下りが5031M、上りが5032Mであるが、岡山 - 出雲市間は下りが4031M、上りが4032Mとなっている。

停車駅

東京駅 - 横浜駅 - 熱海駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 -(浜松駅)-〔大阪駅〕-〔三ノ宮駅〕- 姫路駅 - 岡山駅 - 倉敷駅 - 備中高梁駅 - 新見駅 - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - 宍道駅 - 出雲市駅

  • ( )は下り列車のみ停車、〔 〕は上り列車のみ停車。

使用車両・編成

1998年7月10日からの編成図
PJRPJRNC
サンライズ瀬戸・サンライズ出雲
← 出雲市・高松
琴平・松山・東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7
座席
種類
BS   BS   A1   BS   BS
B1/2 B1C B1 L B2 BS B1/2 B1/2
下り サンライズ瀬戸
上り サンライズ出雲
8 9 10 11 12 13 14 号車
BS   BS   A1   BS   BS 座席
種類
B1/2 B1C B1 L B2 BS B1/2 B1/2
サンライズ出雲 下り
サンライズ瀬戸 上り
凡例
=禁煙車(4号車・11号車は個室の半数が禁煙)
A1=A寝台1人用個室「シングルデラックス」
B1=B寝台1人用個室「ソロ」
BS=B個室1人用個室「シングル」
B1/2=B寝台1 - 2人用個室「シングルツイン」
B1C=B寝台1 - 2人用個室「シングルツイン」(バリアフリー対応)
B2=B寝台2人用個室「サンライズツイン」
指=普通車指定席「ノビノビ座席」(簡易寝台・座席車扱い)
L=ミニラウンジ

西日本旅客鉄道(JR西日本)の後藤総合車両所および東海旅客鉄道(JR東海)の大垣車両区所属の、285系電車を使用している。7両編成で、客室は個室A寝台「シングルデラックス」、個室B寝台「サンライズツイン」「シングルツイン」「シングル」「ソロ」、普通車指定席「ノビノビ座席」で構成されている。また、3号車と10号車にはミニラウンジが設けられている。

東京駅 - 岡山駅間は「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」を併結して岡山駅で増解結を行うため、車両の運用は一巡するように組まれており、「サンライズ出雲」東京行→「サンライズ瀬戸」高松行→「サンライズ瀬戸」東京行→「サンライズ出雲」出雲市行の順に運用されている。この運用形態は1994年 - 1999年までの「さくら」、2005年 - 2009年までの「はやぶさ」「富士」で見られた。

3・4・10・11号車にはシャワー室があり、シャワーカードにより6分間利用することができる。このうち、4号車と11号車のものはA寝台利用客専用となっている。個室A寝台利用客は車掌から配布されるシャワーカードで利用できるが、個室B寝台・ノビノビ座席利用客は、3号車・10号車にある販売機でシャワーカードを購入する必要がある。


担当乗務員

運転士車掌共に東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)が自社区間のみを担当することから、会社境界である熱海駅・米原駅などで交代する。担当車掌の詳細は下記のとおり(JR東日本区間の上り列車とJR東海区間の上下列車は車掌1人乗務)。

2015年3月14日改正前日発の下り列車まで車掌は、東京 - 出雲市間全区間をJR西日本の米子車掌区が担当していた[4][5]。同区は前身の寝台特急出雲誕生時以来40年以上にわたり全区間の乗務を担当していた[6]。2015年3月12日時点のJR線で車掌が会社境界を跨いでかつ長距離の越境乗務をしている列車は本列車(米原 - 東京間445.9 km)と「サンライズ瀬戸」(サンライズ出雲に同じ)、「トワイライトエクスプレス」(直江津 - 青森間578.6 km)の3列車のみであったが、本列車をもって国鉄時代から続いていた夜行列車の長距離越境乗務は消滅、900 km超に及ぶ通し乗務もまた消滅した。 この乗務区間の分割により、乗降の少ない区間や客扱いのない一部区間では車掌数の減員が行われている。前述の改正前までは岡山 - 東京間は3名(岡山車掌区1名、米子車掌区2名)で通し乗務していた[7]。米子車掌区が越境乗務していた当時は車掌がシャワーカードとアメニティセットの販売も行っていたが、前者は自動券売機での販売へ移行、後者は販売を終了している。

臨時列車

予備編成を使用した「サンライズ出雲91号」および同「92号」が、2014年12月28日より繁忙期を中心に運転されている。

下りは東京駅を定期列車より約30分遅く出発して出雲市駅に約3時間遅れて到着し、上りは出雲市駅を定期列車より約4時間早く出発して東京駅に約40分早く到着する。

  • 2023年5月現在の停車駅[8]
    東京駅 - 横浜駅 - 大阪駅 - 三ノ宮駅 - 姫路駅 - 岡山駅 - 倉敷駅 - 備中高梁駅 - 新見駅 - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - 宍道駅 - 出雲市駅
    • 上下とも停車駅は同一である。

また2018年9月21日に、「山陰デスティネーションキャンペーン」の一環として京都駅発出雲市駅行きの「サンライズ出雲93号」が運転された[9]。京都始発のサンライズ出雲が設定されるのは初のことである。

  • 停車駅
    京都駅 - 大阪駅 - 三ノ宮駅 - 姫路駅 - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - 玉造温泉駅 - 宍道駅 - 出雲市駅

利用状況

下りは岡山駅で山陽新幹線みずほ」(鹿児島中央行き)に乗り継ぐことで福岡県佐賀県熊本県鹿児島県には午前中到着が可能であり、さらに小倉駅九州新幹線停車駅での乗り換えにより、大分県宮崎県長崎県にも早くて午前中に到着可能である。上りも夕方に九州方面から逆ルートで九州・山陽新幹線「みずほ」(新大阪行き)を利用し姫路駅で乗り換えると、翌早朝には静岡 - 東京間に到着でき利便性が高い。平均乗車率は2008年時点で69%となっており[10]、運行後期の乗車率が不振で廃止となった「銀河(2007年12月時点30 - 40%[11])」、「あさかぜ(後期20[12] - 30%程度[13])」、「はやぶさ富士(2007年度平均約20%[14])」と比べ安定した乗車率を維持している。特に金曜日の平均乗車率は高く、2003年には86%だったのが、島根県の観光プロモーション等の影響により2012年には99%に達している[15]

2006年に廃止された「出雲」に代わる首都圏と鳥取県東部を結ぶ役割を担う列車として、「サンライズ瀬戸・出雲」の停車駅に上郡駅を追加し、同駅で特急「スーパーいなば91・92号(サンライズリレー号)」との接続が考慮された[16]。東京 - 鳥取間の走行距離は「出雲」は743.9kmであったのに対し、「サンライズ瀬戸・出雲」と「スーパーいなば91・92号(サンライズリレー号)」との乗継ぎの場合は767.1kmと約20km長くなったが、「スーパーいなば」は高速運転が可能な智頭急行線を経由するため、逆に所要時間は約1時間短縮されていた。

しかし、2010年3月からは岡山駅で「スーパーいなば1・12号」と接続するダイヤに変更されたため、上郡駅は通過するダイヤに戻された。

いずれの接続でも特急券乗り継ぎ料金制度や乗車制度の特例はない。また、岡山駅乗り換えの場合は、重複区間となる上郡 - 岡山間往復分を含めた乗車券を購入する必要がある。

首都圏対山陰地方優等列車概略

出雲

出雲
DD51形の牽引による寝台特急「出雲」
(2006年1月 出雲市駅
概要
種類 特別急行列車
現況 廃止
地域 東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、岐阜県、滋賀県、京都府、兵庫県、鳥取県、島根県
前身 急行「出雲」[注釈 1]
運行開始 1972年3月15日
運行終了 2006年3月18日
後継 寝台特急「サンライズ出雲」
旧運営者 日本国有鉄道(国鉄) →
東日本旅客鉄道(JR東日本)
西日本旅客鉄道(JR西日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
路線
起点 東京駅
終点 出雲市駅
営業距離 898.2 km (558.1 mi)(東京 - 出雲市間)
使用路線 JR東日本:東海道本線
JR東海:東海道本線
JR西日本:東海道本線・山陰本線
車内サービス
クラス A寝台B寝台
就寝 A寝台「シングルデラックス」:1号車
開放式B寝台:2 - 4・6 - 11号車
その他 フリースペース:5号車
技術
車両 EF65形電気機関車
DD51形ディーゼル機関車
24系客車
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V(東京 - 城崎温泉伯耆大山 - 出雲市間)[注釈 2]
非電化(城崎温泉 - 伯耆大山間)
運行速度 最高110 km/h (68 mph)(EF65形牽引時)
最高95 km/h (59 mph)(DD51形牽引時)
テンプレートを表示
「出雲」ヘッドマーク

「出雲」は、1928年12月に大阪 - 浜田米子間(福知山線・山陰本線経由)で運転していた準急列車(料金不要、戦後の快速列車に相当)がそのルーツで、1935年3月に急行列車に格上げして出雲今市駅(現・出雲市駅)から大社線に直通し、大阪 - 大社間を運転していた。

1943年には太平洋戦争の激化に伴い廃止されたが、1947年に準急として復活、1951年には再び急行に格上げして「いずも」の列車名が与えられ、編成の一部が大阪駅から東京 - 宇野間を運転する急行「せと」に併結されて東京駅まで直通した。また、大阪駅から浜田発着編成の連結も行われるようになったが、出雲市 - 浜田間は快速列車として運転していた。

1956年には「いずも」から漢字の「出雲」に改称の上、急行「せと」との併結を取りやめ、東京 - 大社間を単独運転するようになった。1961年10月から京都 - 福知山間を山陰本線経由に変更し、従来の京阪神山陰地方を結ぶ列車の役割を捨て、東京と山陰地方を結ぶ列車としての性格を強めはじめ、1972年3月には特急列車化され東京 - 浜田間を運転していた。

1975年3月には、急行「銀河」を格上げして運行系統を整理し、東京 - 米子間で特急「いなば」の運転を開始したが、3年後の1978年10月には出雲市発着に変更のうえ「出雲」に統合し、この時から「出雲」は2往復体制で運転するようになった。

1998年7月からは、1往復に285系を投入して電車化を行い「サンライズ出雲」として伯備線経由で運行開始。残りの1往復は引き続き山陰本線経由で運転していたが、2006年3月に車両の老朽化や利用客の減少などの理由により「出雲」が廃止された。

2006年3月廃止時点では、停車駅・車両性能・経由線区の違いから、東京駅先発の「出雲」が後発の「サンライズ出雲」より後に終点の出雲市駅に到着する、つまり「出雲」は途中で「サンライズ出雲」に追い越されるというもので、上り列車の場合は先発の「出雲」が後発の「サンライズ出雲」より30分近く先に東京駅に到着していた。列車番号は、下りが3列車、上りが4列車であった。ただし、3月17日の最終列車のみ臨時列車扱いとしたため、下りは9003列車、上りは9004列車であった。ダイヤが乱れた場合、下り列車は京都 - 福知山間は福知山線経由での迂回運転していたこともあった。この時は綾部駅を経由せず、福知山以西で大幅に遅れて到着した。

「出雲」の廃止により東京駅を発着する単独運転の寝台特急列車、定期列車から食堂車オシ24形の運用、EF65形電気機関車の寝台特急の牽引が消滅した。

停車駅

東京駅 - 横浜駅 - 沼津駅 - 静岡駅 - (浜松駅) - 京都駅 - 綾部駅 - 福知山駅 - 豊岡駅 - 城崎温泉駅 - 香住駅 - 浜坂駅 - 鳥取駅 - 倉吉駅 - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - 宍道駅 - 出雲市駅

使用車両・編成

廃止直前の「出雲」
← 出雲市
東京 →
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
EGC A1 B B B D B B B B B B
  • 9 - 11号車は多客期のみ東京 - 米子間で連結。
凡例
A1=1人用個室A寝台「シングルデラックス」
B=開放式B寝台
D=フリースペース
EG/C=電源車

運転末期の客車は、JR東日本の尾久車両センター所属田町車両センター常駐の24系25形客車が使用され、電源車を含む9両編成で運転していた。なお、多客期は東京 - 米子間にて3両を増結していた。客車は個室A寝台「シングルデラックス」(この車両のみ金帯化はされていない)・開放式B寝台・「フリースペース」で組成されており、「フリースペース」については営業休止となった食堂車が使用されていた。

牽引機関車は、東京 - 京都間をJR東日本の田端運転所所属田町車両センター常駐のEF65形1000番台で、京都駅で機関車を付け替えを行い、京都 - 出雲市間はJR西日本の後藤総合車両所所属のDD51形であった。DD51形の車両基地が米子駅(後藤総合車両所)にあるため、上り列車(東京行き)は、米子駅でDD51形から別のDD51形への機関車付け替えを行った。

使用車両の変遷

1972年3月に「出雲」が特急化された時は20系客車を使用し、東京 - 京都間がEF65形500番台、京都 - 浜田間は当時山陰本線の主力機関車だったDD54形が牽引していたが、DD54形の故障が続発し問題となったため、1974年度中にDD51形に変更された。

1975年に24系客車が投入されたものの、翌年1976年には24系25形化された。このとき初めて1人用個室A寝台も同時に連結を行なった。当時の「出雲」は国鉄有数の寝台券の入手が困難な人気列車として知られており、B寝台車が3段式の24系から2段式の24系25形への変更による定員減で、それがさらに強調される結果となった。1978年10月に「いなば」を米子 - 出雲市間延長により「出雲」2・3号に改称し、従来の「出雲」は「出雲」1・4号に変更された。

なお、1人用個室A寝台には1986年より「シングルデラックス(DX)」と命名され、JR分社化を経て1991年から2・3号にも連結された。

編成の変遷
「出雲」2・3号
← 出雲市
東京 →
1984年時点
1 2 3 4 5 6 7 8
B A B B B B B B
  • B寝台は1984年2月1日の時点では3段式寝台であったが、1984年9月までに2段式への改造を完了した。
凡例
A=開放式A寝台
B=開放式B寝台
1991年時点
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
B A1 B1/B2 3B BC B B B B B
  • 9・10号車は閑散期に減車[17]
凡例
A1=1人用個室A寝台「シングルデラックス」
B=2段式開放B寝台
B1/2=1人用B寝台個室「シングルツイン」・2人用B寝台個室「ツイン」合造車
BC=4人用B寝台簡易個室「Bコンパートメント」
3B=3段式開放B寝台

「出雲」2・3号には「いなば」以来の14系客車を引き続き使用した。なお、国鉄分割民営化直前の1986年11月に、品川運転所(現・東京総合車両センター田町センター)と宮原運転所(現・網干総合車両所宮原支所)から出雲運転区(現・JR西日本後藤総合車両所出雲支所)に「出雲」2・3号用として14系客車25両が転出している[18]

その後、1991年3月に「出雲」2・3号にB寝台個室は1人用B寝台個室「シングルツイン」、2人用B寝台個室「ツイン」を連結し、A寝台は開放式から1人用A寝台個室「シングルDX」へ変更した。なお、「シングルDX」は従来より連結していた「出雲」1・4号とは異なり、同時期に連結を開始した「あさかぜ」2・3号および「瀬戸」に準じた室内を持つ車両とした。また、「シングルツイン」、「ツイン」は「トワイライトエクスプレス」に準じた室内を持ち、従前のB寝台個室「ソロ」・「デュエット」とは異なる料金を必要とした。

食堂車について

1935年に列車名のない急行列車として運転を開始した時には和食堂車を連結していたが、1978年1月に「あさかぜ」1・4号(いわゆる「博多あさかぜ」)の24系25形化に伴い、食堂車の運用を捻出するため、食堂車は浜田駅までの基本編成から出雲市駅までの付属編成へと変更された。この措置は共通運用の「富士」「はやぶさ」についても同様に行われた。

この当時、食堂車については増備を行わない方針であったため、運行時間が丸一日となる「富士」「はやぶさ」の食堂車を途中折り返しとすることで東京駅に戻る日を一日早めることができた。「出雲」は運行時間から言えば変更によるメリットはなかったが、「富士」「はやぶさ」との共通運用である側杖を被った格好であった。

また、「いなば」 → 「出雲」2・3号については、1975年の「いなば」運行当初より連結されていたものの、運行時間から営業を行っておらず、1984年の「紀伊」廃止に伴う「出雲」2・3号単独運転以降連結を廃止した。

運用上の例外

なお、山陰本線の電化工事により「出雲」1号が伯備線経由で迂回運転時はDD51形が岡山 → 米子間を重連で牽引しており、米子 → 岡山間DD51形を重連で回送されていた。この迂回運転は下り1号のみであり、「出雲」4号は通常通り山陰本線経由で京都駅まで牽引し、その牽引してきたDD51形を所属基地の米子駅まで回送するため、「出雲」3号も京都 → 米子間を重連で牽引していた。

また、1987年から翌1988年にかけての一時期、出雲市行きの「出雲」3号は、毎日運転の臨時普通列車として出雲市 → 知井宮(現・西出雲)間で延長運転を行っていた。「出雲」3号の車両を回送する際の間合い運用であったが、寝台特急列車の末端区間を普通列車として運転するのは極めて珍しい事例であった。

いなば

「出雲」の混雑緩和のために1975年3月から1978年10月まで東京 - 米子間で運転されていた寝台特急列車である。「あさかぜ」の1往復削減で捻出された14系客車が使用された8両編成であった。同じ14系客車を使う「さくら」「みずほ」と共通運用を組む関係上、食堂車が編成に組み込まれていたが、食堂車は営業を休止していた。

東京 - 名古屋間では、特急「紀伊」と併結運転された。また、名古屋駅で「紀伊」と増解結を行うが下りが2時台(運転停車)、上りが0 - 1時台に作業を行うために作業中の連結器の衝撃音で目を覚ます乗客からの苦情が絶えなかった。

牽引機は東京 - 京都間がEF58形、京都 - 米子間がDD51形であった。

1978年10月に運行区間が東京 - 出雲市間に延長されたことにより、「出雲」2・3号に改称した。

首都圏対山陰地方優等列車沿革

戦前・戦後の山陰夜行列車「いずも」から「出雲」へ

  • 1928年昭和3年)12月25日:大阪 - 米子 → 浜田間(福知山線・山陰本線経由)で準急407・408列車(料金不要、戦後では快速列車に相当する)が運行開始。
    • 山陰本線・福知山線にはそれまで優等列車が存在せず、これが両線で初めての速達列車となった。列車愛称はなかった。
  • 1934年(昭和9年)12月1日:準急407・408列車の運行区間が大阪 - 出雲今市(現・出雲市)間に短縮される。
  • 1935年(昭和10年)3月15日:準急407・408列車が急行列車になり、401・402列車に変更され、運行区間は大阪 - 大社間に延長される。
    • 上り列車は同区間では最速となり8時間20分を要した。また、二等車との合造車ではあるが和食堂車が連結された。
  • 1943年(昭和18年)2月太平洋戦争の激化に伴い、急行401・402列車が廃止され、大阪 - 出雲今市間の普通列車になる。
  • 1947年(昭和22年)6月29日:大阪 - 大社間で準急列車が運行開始。この時点でもまだ列車名はなかった。
  • 1951年(昭和26年)
    • 11月25日:大阪 - 大社間の準急が、運行区間・列車種別を東京 - 大社間の急行に変更される(東京 - 大社間は3両で「せと」と併結運転、大阪 - 大社間は6両で、大阪駅で増解結)。
    • 12月2日:東京 - 大社間の急行列車に「いずも」の列車名が付与される。
  • 1954年(昭和31年)10月1日:「いずも」の運行区間が、東京 - 大社・浜田間に延長(東京 - 大社間は3両で「せと」と併結運転、大阪 - 大社間は6両で、大阪駅で増解結。出雲今市 - 浜田間は快速列車。)。
  • 1956年(昭和31年)11月19日:列車名が「いずも」から「出雲」に改称。急行「せと」との併結を取りやめ、単独運転になる。
  • 1961年(昭和36年)3月1日:全区間が急行列車になる。

東京対山陰直通夜行列車「出雲」の変遷

  • 1961年(昭和36年)10月1日サンロクトオのダイヤ改正により、「出雲」の運行区間が東京 - 大社間に変更され、京都 - 福知山間は福知山線経由から山陰本線経由に変更。
  • 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正(1964年10月1日国鉄ダイヤ改正)に伴い、「出雲」は全区間を単独運転にする。この際、編成のほとんどが寝台車と座席指定席座席車で組成されることとなり、東京 - 米子間では食堂車も連結された。食堂営業は特急「出雲」への格上げを経て国鉄分割民営化後の1987年(昭和62年)5月まで一貫して日本食堂米子営業所が担当した。
  • 1972年(昭和47年)3月15日:山陽新幹線新大阪 - 岡山間の開業によるダイヤ改正(1972年3月15日国鉄ダイヤ改正)により、「出雲」が特急列車になる。車両は20系客車が使用され、食堂車は全区間で連結に変更された。
  • 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線博多駅延伸に伴うダイヤ改正(1975年3月10日国鉄ダイヤ改正)により、次のように変更。
    1. 「出雲」に24系客車が投入される(当時の編成図)。オシ14形からの改造車オシ24形100番台食堂車の連結を開始電源車&荷物車にカニ24形0番台の使用を開始
    2. 東京 - 米子・出雲間で寝台特急「いなば」が運行開始(当時の編成図)。急行「銀河」1往復が廃止され、そのダイヤを利用して運転されたこともあって東京 - 名古屋間では同ダイヤ改正で特急となった「紀伊」と併結運転。
  • 1976年(昭和51年)10月1日:ダイヤ改正(1976年のダイヤ改正)により「出雲」が24系24形客車から24系25形に置き換え。「はやぶさ」「富士」とともに東京発着の定期寝台特急初の2段B寝台投入。1人用個室A寝台も同時に連結開始。このA寝台1人用個室には当初愛称がなかったが、1986年(昭和61年)3月3日に「シングルデラックス」と命名される(当時の編成図[注釈 3]。食堂車のみオシ24形を使用と1人用A個室寝台車オロネ25形0番台の連結と電源車&荷物車はカニ24形100番台を連結開始
  • 1978年(昭和53年)
    • 1月:食堂車を浜田駅までの本編成から出雲市駅までの付属編成へと変更(当時の編成図)。
    • 10月2日:ダイヤ改正(1978年10月白紙ダイヤ改正)により「いなば」が東京 - 出雲市間に延長され「出雲」2・3号に、「出雲」は1・4号にそれぞれ改称。同改正に前後して「出雲」1・4号は東京 - 京都間の牽引機をEF65形500番台からEF65形1000番台に置き換え。
      • この時期から「出雲」ほか日食米子営業所担当の食堂車に「大山おこわ定食」などの郷土メニューが登場する。
  • 1980年(昭和55年)10月:「出雲」2・3号の東京 - 京都間の牽引機が、EF58形からEF65形1000番台に置き換えられる。
  • 1982年(昭和57年)7月1日:「出雲」3・2号の停車駅が玉造温泉駅から宍道駅に差し替えられる。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:ダイヤ改正(1984年2月1日国鉄ダイヤ改正)により「紀伊」が廃止され、「出雲」2・3号は単独運転になって客車の運用を「さくら」「みずほ」の編成と分離、食堂車をB寝台車に置き換えた8両編成になる。この編成変更によって捻出された食堂車(オシ14形)3両は2両が「はやぶさ」の「ロビーカー」、1両がジョイフルトレイン「ホリデーパル」の種車として使用された[19]
    • また時期を並行し、使用する14系B寝台車を2段化改造、約半年後に完了。
  • 1985年(昭和60年)3月14日:ダイヤ改正(1985年3月14日国鉄ダイヤ改正)によりスピードアップが図られ、特に「出雲」2・3号は東京 - 出雲市間の所要時間が下り(3号)で34分、上り(2号)では68分の時間短縮となり上下とも13時間40分台での運転となった[20]。同改正では1970年代以降一部の列車や区間に限られていた寝台特急のヘッドマーク取り付けが全列車・全区間で実施されることとなり、「出雲」もDD51形が新たなヘッドマーク取り付けの対象となった。
  • 1986年(昭和61年)11月1日国鉄分割民営化に先立って行われたダイヤ改正(1986年11月1日国鉄ダイヤ改正)により、「出雲」2・3号の車両受持ちが品川運転所から出雲運転区に変更。なお「出雲」1・4号の車両受持ちは品川運転所が担当。

国鉄分割民営化後の展開

・1998年3月(「出雲」2往復体制末期)時点の編成図
出雲
← 浜田・出雲市
東京 →
1・4号(JR東日本管轄)
編成 浜田発着編成 出雲市発着編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
座席 A1 B B B B B B B B B
2・3号(JR西日本管轄)
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
座席 B A1 B1/B2 3B BC B B B B B
  • 1・4号の9 - 11号車、2・3号の9・10号車は連結しない場合がある。
  • 1・4号の米子 - 浜田間、2号の出雲市 → 鳥取間、3号の香住 → 出雲市間では、開放式B寝台の一部車両で座席開放(いわゆる「ヒルネ」)を行う。
凡例
A1=1人用個室A寝台「シングルデラックス」
B1/B2=1人用個室B寝台「シングルツイン」・2人用個室B寝台「ツイン」合造車
BC=4人用B寝台簡易個室「Bコンパートメント」
B=開放式B寝台
3B=3段式寝台(開放式B寝台)
売=売店(旧
食堂車)
  • 1987年(昭和62年)3月3日「出雲」1・4号に電源車&荷物車のカニ24形100番台とB寝台車のオハネフ25形100番台と200番台とオハネ25形0番台とオハネ25形100番台と200番台を種車にしたグレードアップしたグレードアップ車両の連結を開始オシ24形0番台(2両)からの改造車オシ24形700番台食堂車の連結を開始A寝台車のみオロネ25形0番台(3両)からの一人用A個室寝台車オロネ25形0番台を使用4月1日:国鉄分割民営化に伴い、「出雲」1・4号はJR東日本が、「出雲」2・3号はJR西日本が管轄する共同運行列車になる。
    • 6月1日:「出雲」1・4号の食堂車の担当を日本食堂本社(上野営業所)に移行。なお、人気が高い限定メニュー「大山おこわ定食」の販売は1988年(昭和63年)6月30日まで続けられる。
  • 1989年(平成元年)3月1日:「出雲」2・3号に3段式B寝台車が1両のみ復活[21]。前年に現れた高速バスに価格対抗した[21]「出雲B3きっぷ」が山陰側で発売されるのに合わせたもの。
  • 1991年平成3年)ト
    • 3月:「出雲」2・3号に1人用B寝台個室「シングルツイン」、2人用B寝台個室「ツイン」を連結。なお、A寝台は開放式から1人用A寝台個室「シングルデラックス」へ変更。
    • 6月1日:「出雲」1・4号の食堂車が営業を休止して売店営業に差し替える。その理由は、朝食時間帯の食堂営業が下りは1時間30分と短いばかりか上りでは東京到着が7時台と営業としては成立できないことに加え、郷土メニュー廃止などで夕食時間帯の食堂利用者が減少した面もあった。
  • 1993年(平成5年)9月1日:山陰本線園部 - 福知山間電化・高速化工事に伴い、下り「出雲」1号のみ伯備線経由に変更[22]
  • 1994年(平成6年)12月3日:品川運転所の車両無配置化に伴い「出雲」1・4号の受持ちが尾久客車区(現・尾久車両センター)に変更。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月17日 - 3月31日阪神・淡路大震災により「出雲」1・4号の運転を取りやめ。これによって使用されない機関車は「なは」「あかつき」の迂回運転用に捻出[23]
    • 4月1日 - 4月16日:「出雲」2号は「出雲」4号の時刻で運転。臨時列車「出雲」84号は「出雲」2号の時刻で運転される[23]
    • 12月1日:「出雲」1号が元の山陰本線経由に変更[24]

「サンライズ出雲」の登場と「出雲」の終焉

  • 1998年(平成10年)7月10日:285系電車の投入により、以下のように変更。
    1. 「出雲」2・3号は285系電車投入の上で、山陽本線・伯備線経由の「サンライズ出雲」に変更。東京 - 岡山間は「サンライズ瀬戸」と併結。
    2. 「出雲」1・4号は出雲市 - 浜田間の運行を終了の上で号数表記を廃止。列車番号を初めて東京対九州寝台特急群と同じ下り出発順に番号を改めた。
      • なお、この改正で、客車「出雲」のダイヤは旧3・4号の時間帯となり、特に下りは名古屋駅から山陰方面への直通利用ができなくなったため、名古屋の民放局で「サンライズの名古屋飛ばし」とニュース報道した局があった。また、日本レストランエンタプライズによる売店営業は同年8月22日[要出典]から下りの営業時間が短い事などで中止され、連結されていた食堂車は「フリースペース」として使用された。ただし、その後も浜坂 → 鳥取間では車内販売員が乗り込む形で弁当類を販売したほか、2006年(平成18年)3月1日 - 3月17日の最終運転までの間は弁当とグッズ中心の売店営業を出雲市 - 鳥取間で行った。
「出雲2・3号」最終日編成
← 出雲市
東京 →
3号編成(7月9日東京発)
所属 出雲運転区
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
客車形式 スハネフ14
23
オロネ14
301
オハネ14
301
オハネ14
5
オハネ14
28
オハネ14
38
オハネ14
26
スハネフ14
15
機関車 東京 → 京都間:EF65 1101(田端) 京都 → 出雲市間:DD51(後藤)
2号編成(7月9日出雲市発)
所属 出雲運転区
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
客車形式 スハネフ14
44
オロネ14
302
オハネ14
303
オハネ14
56
オハネ14
37
オハネ14
27
オハネ14
31
スハネフ14
14
機関車 出雲市 → 京都間:DD51(後藤) 京都 → 東京間:EF65 1113(田端)
  • 1999年(平成11年)12月4日:下りの停車駅に新見駅を追加[25]
  • 2002年(平成14年)3月23日:上りも新見駅に停車[26]
  • 2005年(平成17年)3月1日:ブルトレ便が廃止。
  • 2006年(平成18年)3月18日:ダイヤ改正により次のように変更[16]
    1. 客車寝台特急「出雲」が廃止。
    2. 停車駅に上郡駅を追加し、「スーパーいなば」91・92号(サンライズリレー号)と上郡駅で接続(特急券の乗り継ぎ料金制度はない)。
    3. 鳥取 - 米子間については「出雲」の時間帯に「スーパーまつかぜ」が1往復増発[27]
「出雲」最終日編成
← 出雲市
東京 →
下り編成(3月17日東京発)
編成 基本編成:東京 → 出雲市間 付属編成:東京 → 米子間
所属 尾久車両センター
号車 電源車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
客車形式 カニ24
110
オロネ25
10
オハネ25
221
オハネ25
35
オハネフ25
122
オシ24
701
オハネ25
209
オハネ25
150
オハネフ25
203
オハネ25
146
オハネ25
36
オハネフ25
123
機関車 東京 → 京都間:EF65 1109(田端) 京都 → 出雲市間:DD51 1179

付属は到着後DD51-1121の牽引により回送

上り編成(3月17日出雲市発)
編成 基本編成:出雲市 → 東京間 付属編成:米子 → 東京間
所属 尾久車両センター
号車 電源車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
客車形式 カニ24
112
オロネ25
9
オハネ25
224
オハネ25
145
オハネフ25
126
オシ24
702
オハネ25
226
オハネ25
141
オハネフ25
128
オハネ25
144
オハネ25
214
オハネフ25
204
機関車 出雲市 → 米子間:DD51 1186 米子 → 京都間:DD51 1179 京都 → 東京間:EF65 1100(田端)
  • 2009年(平成21年)9月30日:岡山 - 新見間で行われていた車内販売の営業を終了。
  • 2010年(平成22年)3月13日:上郡駅の停車を取り止め[28]
  • 2014年(平成26年)12月28日 - :年末年始や夏休みの臨時列車が運転される。
  • 2015年(平成27年)
    • 3月13日:東京発の下り列車をもってJR西日本米子車掌区の車掌による東京駅までの越境乗務が終了。
    • 3月14日:備中高梁駅に新規停車を開始。「北斗星」が臨時列車になったため、併結相手の「サンライズ瀬戸」とともにJRで唯一の定期寝台特急であり、JR在来線の定期旅客列車としては最長走行距離列車となった。[注釈 4]
  • 2016年(平成28年)
    • 3月21日:臨時寝台特急「カシオペア」が運行を終了し、「サンライズ瀬戸」とともにJR線で最後の定期運行(臨時を含めて定期的な運転で移動を目的とする列車を含む)を行う寝台特急列車となった。
    • 3月22日:急行「はまなす」の最終運行が終わり[注釈 5]、「サンライズ瀬戸」とともにJR線で最後の定期運行を行う夜行列車となった。
  • 2018年(平成30年)7月6日 - 31日:平成30年7月豪雨により、全区間で運休となる[29][30][31][32]
    • 8月1日:全区間で運転再開。これに伴い、岡山駅での「サンライズ瀬戸」との分割・併合も復活[33][34][35]
  • 2021年 (令和3年)3月13日:同日のダイヤ改正で、東京駅の発時刻を「サンライズ出雲」運転開始時から続いてきた22時00分[36] から21時50分に繰り上げ[37]
  • 2024年 (令和6年) 8月29日:使用車両である285系が検査のため後藤総合車両所構内を移動中、留置していた廃車予定の381系と接触。修繕のため10月14日から一部の「サンライズ出雲」が運休となる[38][39]

同列車の作品化

小説

漫画

映画

脚注

注釈

  1. ^ 1947年6月29日から1951年12月1日までは列車名なし。1951年12月2日から1956年11月18日までは「いずも」。
  2. ^ 但し、京都 - 城崎温泉、伯耆大山 - 出雲市間はディーゼル機関車が牽引した。
  3. ^ 実際にはダイヤ改正には遅れ10月2日より24系25形に置き換えられた。:ブルトレ興亡録、イカロス出版より
  4. ^ 2015年3月14日のダイヤ改正での定期夜行列車としては急行はまなす」が残存していた。
  5. ^ 北海道新幹線開業準備のため3月25日まで運休扱い。正式廃止は26日。

出典

  1. ^ a b “JR7社14年のあゆみ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 9. (2001年4月2日) 
  2. ^ 運行ダイヤは実質旧3号の建て替え。
  3. ^ 北海道新幹線開業準備のため3月25日まで運休扱い。正式廃止は26日。
  4. ^ 平成27年春ダイヤ改正の会社提案を受ける” (PDF). JR東海労働組合名古屋地方本部 (2014年12月19日). 2022年11月14日閲覧。
  5. ^ ダイ改を前にした業務委員会開催!” (PDF). JR東海労働組合静岡地方本部 (2022年11月14日). 2022年11月14日閲覧。
  6. ^ 「山陰の女王が走った16時間」 - 鉄道ジャーナル社、1982年8月2日発行
  7. ^ 寝台特急サンライズに ついて申し入れを行う!!” (PDF). JR東海労働組合名古屋地方本部 (2015年2月24日). 2022年11月14日閲覧。
  8. ^ 交通新聞社『JR時刻表 2023年5月号』p.80
  9. ^ 2018年 夏の臨時列車運転のご案内 JR西日本米子支社、2018年5月18日
  10. ^ 「走る家」おはよう大山 サンライズ出雲 - 朝日新聞 2008年6月14日
  11. ^ 石鍋仁美 NET EYE プロの視点 寝台急行「銀河」、復活の日ウェブ魚拓)- 日本経済新聞 2008年3月19日
  12. ^ 東京駅発、消えゆくブルトレ「銀河」「富士」「はやぶさ」…利用客減、廃止の方向 - 朝日新聞 2007年11月26日
  13. ^ 『「あさかぜ」最終列車、1分半で完売 ツアーも人気』 - 朝日新聞 2005年1月27日
  14. ^ 東京発ブルートレイン「はやぶさ・富士」最終日 - Response. 2009年3月13日
  15. ^ 中田絢子 (2013年1月6日). “女子会特急 出雲行き”. 朝日新聞 (東京都: 朝日新聞社): p. 28 
  16. ^ a b 平成18年3月18日ダイヤ改正(インターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2006年1月30日
  17. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2007年7月号 No.791 特集 14・24系寝台客車 I、P.70
  18. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2007年7月号 No.791 特集 14・24系寝台客車 I、P.78-84、14系・24系客車車歴表(I)
  19. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2007年7月号 No.791 特集 14・24系寝台客車 I、P.85-86、14系・24系客車車歴表(I)
  20. ^ 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1985年7月号 No.221 P.23
  21. ^ a b 「JR年表」『JR気動車客車情報 89年版』ジェー・アール・アール、1989年8月1日、144頁。ISBN 4-88283-110-4 
  22. ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '94年版』ジェー・アール・アール、1994年7月1日、189頁。ISBN 4-88283-115-5 
  23. ^ a b 『阪神・淡路大震災 鉄道復旧記録誌』西日本旅客鉄道、1996年。
  24. ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '96年版』ジェー・アール・アール、1996年7月1日、185頁。ISBN 4-88283-117-1 
  25. ^ 『JR時刻表』(編集・発行 弘済出版社)1999年10月号、p.143(「出雲」・「サンライズ出雲」の時刻)では新見駅通過。同、1999年12月号、p.143で下りのみ停車。
  26. ^ 『JR時刻表』(編集・発行 弘済出版社 → 交通新聞社)2001年12月号、p.143(「出雲」・「サンライズ出雲」の時刻)では上りのみ新見駅通過。同、2002年6月号、p.143で上りも停車。
  27. ^ 平成18年3月18日ダイヤ改正(米子エリア)(別紙詳細) (PDF) (インターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2006年1月30日
  28. ^ 平成22年春ダイヤ改正について (PDF) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年12月18日
  29. ^ 【サンライズ瀬戸、出雲】 運転取り止め(2018年07月20日 06時25分更新) - ウェイバックマシン(2018年7月21日アーカイブ分)(西日本旅客鉄道)
  30. ^ 在来線特急等の運行情報:JR東日本”. 東日本旅客鉄道 (2018年7月19日). 2018年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月19日閲覧。
  31. ^ 倉吉~米子間で臨時特急運転、「サンライズ瀬戸」も再開 鉄道各線区の再開見込み(18日15時現在)”. 乗りものニュース. メディア・ヴァーグ (2018年7月18日). 2018年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月21日閲覧。
  32. ^ “サンライズ瀬戸”の運転再開”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2018年7月24日). 2018年7月25日閲覧。
  33. ^ “鳥取)伯備線、8月1日の全線運転再開を目標に JR西”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2018年7月28日). オリジナルの2018年7月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180729002448/https://www.asahi.com/articles/ASL7W5RX5L7WPUUB00K.html 2018年7月29日閲覧。 
  34. ^ “JR西 寝台サンライズ出雲運転再開へ 来月1日、「やくも」も”. 産経新聞. 産経WEST (産経新聞社). (2018年7月27日). オリジナルの2018年7月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180729004810/https://www.sankei.com/west/news/180727/wst1807270056-n1.html 2018年7月29日閲覧。 
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  37. ^ 春の臨時列車運転のお知らせ』(pdf)(プレスリリース)四国旅客鉄道、2021年1月22日、2頁。オリジナルの2021年1月22日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20210122133303/https://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/2021%2001%2022%2002.pdf2021年1月22日閲覧 
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  39. ^ 寝台特急「サンライズ出雲」の運休計画について(概況)』(pdf)(プレスリリース)西日本旅客鉄道、2024年9月12日、1頁https://www.westjr.co.jp/press/article/items/240912_01_press_sunrise_1.pdf2024年9月14日閲覧 

参考文献

  • 寺本光照『国鉄・JR列車名大事典』中央書院、2001年。ISBN 4-88732-093-0
  • 今尾恵介・原武史『日本鉄道旅行歴史地図帳-全線・全駅・全優等列車- 4号・東京』新潮社、2010年。ISBN 978-4-10-790038-8

関連項目

外部リンク