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寒山詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寒山詩』(かんざんし)は、の隠者寒山の詩を収録した詩集。正式名称は『寒山子詩集』。

通常もう二人の隠者拾得豊干の詩も併集するため、『三隠集』『三隠詩集』とも呼ばれる。

版本

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代表的な版本が4種ある。

宮内庁書陵部本
1189年に国清寺の志南が『寒山子詩集』を刊行したが、現存しない。1229年に無隠が重刻し、その後無我慧身が1首を加えて補刻したもの。宮内庁が所蔵する。正確な補刻年は不明。「国清寺系」の現存最古の刊本。
建徳周氏本または四部叢刊本
中国の古典の復刻企画である「四部叢刊」で1924年に出版されたもの。これは日本でも50冊以上の所在が知られている。元本である建徳周氏所蔵本は、南宋初年杭州刻本とされる[1]。現中国国家図書館蔵。
五山本または正中本
1325年(正中2年)に日本で復刻されたもの。収録詩の順序は、建徳周氏本を修正し、寒山詩を五言詩の部と七言詩の部に分けた。寒山・豊干・拾得三者の詩を収録したものを唯一大谷大学が所蔵する。
1325年刊の『寒山詩』は、仏典以外(外典)では最古の和刻本である[2]
四部叢刊初印本または朝鮮本
「四部叢刊」の初印版の元本。1296年に中国で版刻されたものが、1529年に朝鮮で復刻された。収録詩とその順序は五山本とほとんど同じ。

その他の版本

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江東漕院本
五山本(大谷大学蔵)の行果の序文によれば、1255年に江東漕院から出版された。現存しない。
天台三聖詩集
志南の国清寺本を1416年に重刻したもの。
全唐詩
全唐詩の806巻に寒山311首、807巻に拾得54首と豊干2首の詩が収録されている。ほぼ建徳周氏本に準じる。寒山の詩が建徳周氏本より少ないのは、2首を前の詩とまとめて1首ずつにしているため。

構成

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閭丘胤作「寒山子詩集序」、300余の寒山詩、2首の豊干詩、50前後の拾得詩からなる。

収録詩数

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廣山秀則の論文[3]により3つの版本を対比した。

朝鮮本に採用された詩とその配列は五山本とほぼ同じである。

宮内庁本 建徳周氏本 五山本
寒山五言詩 278 286 286 [注 1]
寒山七言詩 19 20 20
寒山三言詩 6 6 6
寒山雑言詩 1 1 1
寒山詩の計 304 313 [注 2] 313
豊干五言詩 2 2 2
拾得五言詩 44 48 49
拾得七言詩 3 5 5
拾得雑言詩 1 1 1
拾得詩の計 48 54 55
合計 354 369 370

寒山の詩だけの首数

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いろいろな数え方がある。

303首 『全唐詩』にあげられた代表的な数。「寒山詩三百三首」は成句化している。建徳周氏本313首から三言詩6と拾遺詩2を除くと、五言・七言の古詩305首が残る。そのうち2首をあわせて1首にしたものが2つあるので303。
307首 『天台三聖詩集』による。これは国清寺本系で、計306首とした入谷・松村[4]、久須本[5]の編集に近い。これらの185と186の間に1首を追加。
311首 『全唐詩』は303首+三言詩6首+拾遺詩2首と数える。『寒山詩闡提記聞』は五言285首+七言20首+三言6首と数える。
312首 『全唐詩』の303首+三言詩6首+拾遺詩2首にもう1首を加える。
313首 建徳周氏本の数。
319首 『寒山禅師詩集』による。建徳周氏本313首に「佚詩」6首を追加。

近年の注解書

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宮内庁本の寒山詩を網羅し、注釈も詳しい近年の書籍として、 入谷仙介・松村昂によるもの[4]、久須本文雄によるもの[5]がある。 両者とも宮内庁本を底本とし、収録詩は同じで、寒山306、豊干2、拾得55首である。各詩の通し番号まで同じである[注 3]

宮内庁本と比べ、これらの著作で寒山詩が2首多いのは、単に詩の区切りの問題[注 4]

拾得詩が7首多いのは、これらの本の通し番号の1,2は宮内庁本では1首であり、50-55の6首は五山本から採用しているためである。

収録詩の例

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数字は入谷・松村[4]、久須本[5]らによる通し番号。

訳文は入矢訳[6]、入谷・松村訳、久須本訳の混在。

寒山詩

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5 五言四句

吾心似秋月,碧潭清皎潔。無物堪比倫,教我如何説。

わが心は秋の月に似ている。青い淵に清く輝く。
比べるものがない。どうやって説明しようか。

272 五言八句

寒巖深更好,無人行此道。白雲高岫閑,青嶂孤猿嘯。
我更何所親,暢志自宜老。形容寒暑遷,心珠甚可保。

寒厳は山深くよいところ この道を通る人はない。
白い雲は高峰にのどかに 青い嶺には猿が一匹鳴く。
これ以上、何に親しもうか。心を満たして老いればよい。
容貌は時とともに変わっても 心はいつまでも保つことができる。

185 七言四句

千生萬死凡幾生,生死來去轉迷情。不識心中無價寶,猶似盲驢信脚行。

生死をくり返しいつ終わるのだろう。生まれ死に、来て去り、人の心を迷わす。
心の中の価もつけられない宝を知らないのは 盲の驢馬が勝手に歩くようなもの。

304 三言四句

寒山子,長如是。獨自居,不生死。

寒山子は、いつまでもこのようです。独り居り、生きもせず死にもせず。

豊干詩

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2 五言四句

本來無一物,亦無塵可拂。若能了達此,不用坐兀兀。

本来何一つない。払うべき塵もない。
もしこの道理を悟れば 座禅を組んでいるまでもない。

拾得詩

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15 五言四句

嗟見世間人,永劫在迷津。不省這個意,修行徒苦辛。

ああ世間の人を見ると 永遠に迷いの渡し場にいる。
この意味を見ずに 修行していたずらに苦辛している。

影響

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  • 寒山は禅僧だったとは言えないが、その詩は禅の境地をあらわすものとも解釈される。その立場の代表的な注釈書に白隠慧鶴の『寒山詩闡提記聞』[7]がある。
  • 閭丘胤作といわれる「寒山子詩集序」を元に、森鷗外は『寒山拾得』を書いた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 建徳周本と五山本の寒山五言詩は、同じく286首だが、2首が異なる。
  2. ^ 廣山の論文[3]はp.44に建徳周本の寒山詩は315首と書いているが、pp.45-53の対照表には313首しかあげておらず、こちらの数を記した。
  3. ^ 両著作とも、通し番号266と267の間にあたる宮内庁本の詩を298番に移動している。
  4. ^ 上記2著書の通し番号で、230,231は宮内庁本では1首、270,271は宮内庁本では1首、295,296は宮内庁本では1首、194は宮内庁本では2首となっている。

出典

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  1. ^ 劉玉才、潘建国 『日本古鈔本與五山版漢籍研究論叢』 北京大学出版社 2015
  2. ^ 湯浅, 邦弘『中国思想基本用語集』ミネルヴァ書房、2020年3月1日、46頁。 
  3. ^ a b 広山秀則「正中版「寒山詩集」について」『大谷学報』第41巻第2号、大谷学会、1961年、39-58頁、ISSN 0287-6027CRID 1050001201677545344 
  4. ^ a b c 入谷仙介 松村昂 『禅の語録13 寒山詩』 筑摩書房 1970
  5. ^ a b c 久須本文雄 『寒山拾得』 講談社 1985
  6. ^ 入矢義高注 『寒山 中国詩人選集5』 岩波書店 1958
  7. ^ 『白隠和尚全集第4巻』 竜吟社 1935