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富野喜平次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富野 喜平次
とみの きへいじ
第2代大島町長・富野喜平次『大島町誌』[1]より
生年月日 1857年12月27日安政4年11月12日
出生地 日本の旗 日本東京府南葛飾郡大島町
没年月日 没年不明
配偶者 りう子(先妻)
ます(後妻、星野丑蔵の妹)

在任期間 1908年6月10日 - 1908年9月12日
在任期間 1912年11月14日 - 1916年11月13日
在任期間 1921年2月23日 - 1922年1月26日
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富野 喜平次(とみの きへいじ、1857年12月27日安政4年11月12日〉 - 没年不明)は、日本実業家政治家・質商。元東京府大島町(現・東京都江東区の一部)の町長。大塚護謨工作所監査役。孫は『機動戦士ガンダム』等で知られるアニメーション監督の富野由悠季[2]

経歴

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富野喜平治の長男として、南葛飾郡大島町に生まれる[3]。富野家は代々地方の旧家で米穀商を営んでいた[4]1894年明治27年)町会議員に挙げられ、当選回数は三回に及び、1901年(明治34年)同町助役に推される。

1908年(明治41年)初代大島町長・内藤三蔵の退任後、第2代町長として就任し、財政の進歩発展に尽力したが、病により離職。静養中も公共事業に尽瘁し、立川堤防工事がその最たるものであった[3]

1912年大正元年)11月、再び町長に就任。道路の修正や、町区改正等の事業など多大な功績を残す。そのほか、1909年(明治42年)に所得税調査委員に選ばれており、営業税審査委員の嘱託も二回ほどしていた[3]

1916年(大正5年)11月に再び町長を辞職するも、1921年(大正10年)2月、三度目にして町長に就任[5]。翌年に退任し、その後大塚護謨工作所監査役等を務めた[6]

人物

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喜平次は幼い頃から学問好きで独学で漢数学を修了し、特に数学に堪能で自らそのことを誇りにしていた[3]

家族

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  • 父・喜平治1832年9月 - 没年不明)
  • 母・とみ1839年10月 - 没年不明)
    • 千葉、吉田金兵衛の四女、
  • 弟・鍬吉
    • 梅澤勘蔵の妹・かよの夫。
  • 弟・源蔵
  • 弟・春吉
    • 東京、平野かねの養子。
  • 先妻・りう子[3]
  • 後妻・ます1871年12月 - 没年不明)
    • 埼玉、星野丑蔵の妹。
  • 三男・喜平次(前名:徳次郎1886年8月9日 - 没年不明)
  • 三男の妻・なを1893年4月28日 - 没年不明)
  • 長女・とり
    • 東京、地主・並木佐吉の長男・喜太郎の妻[10]。とりの次女・キヨは並木安右衛門(房州屋・味噌醸造家)の長男・安一の妻[11]
  • 次女・りん
    • 群馬、島崎又市の次男・米吉の妻。
  • 四女・
    • 東京、大畑清太郎の妻。
  • 六女・
    • 東京、久村浅次郎の妻。
  • 八男・滋雄
  • 九男・喜平1909年2月 - 没年不明)
  • 九男の妻・幸子1915年生)
    • 大島町会議員・田中佐吉の長女[15]。府立第七高等女学校卒[8][15]。のち夫・喜平とともに分家[8]。実家はセルロイド玩具製造業[15]。富野曰く、大正期にはセルロイドの人形をアメリカに輸出してかなり成功していたという[2]
  • 孫・喜幸富野由悠季
  • 曽孫・アカリ
  • 曽孫・幸緒

脚注

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  1. ^ 大島町誌 : 大東京市併合記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月24日閲覧。
  2. ^ a b c ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】”. 公 研 (2020年9月1日). 2021年7月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e 人物と其勢力 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年3月12日閲覧。
  4. ^ 江東区大島は両親の出身地”. 東都よみうり (2010年3月5日). 2022年3月13日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 大島町誌 : 大東京市併合記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年3月12日閲覧。
  6. ^ 富野喜平次 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2022年3月12日閲覧。
  7. ^ 日本紳士録. 第3版 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年8月26日閲覧。
  8. ^ a b c 人事興信録. 第14版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月24日閲覧。
  9. ^ a b Nihon fujin no kagami. Fujin Hyōronsha, 婦人評論社.. Tōkyō: Nihon Tosho Sentā. (1991). ISBN 4-8205-4051-3. OCLC 26590820. https://www.worldcat.org/oclc/26590820 
  10. ^ 人事興信録. 第14版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年3月12日閲覧。
  11. ^ 人事興信録. 第12版下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年3月21日閲覧。
  12. ^ a b 人事興信録. 第13版下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年3月21日閲覧。
  13. ^ 大衆人事録. 第14版 東京篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月24日閲覧。
  14. ^ 「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル”. 朝日新聞デジタルマガジン&[and]. 2021年7月24日閲覧。
  15. ^ a b c 大衆人事録. 第5(昭和7年)版 タ-ワ之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年11月11日閲覧。