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富田正文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富田 正文とみた まさふみ
誕生 (1898-08-20) 1898年8月20日
茨城県水戸市
死没 (1993-08-27) 1993年8月27日(95歳没)
職業 編集者
慶應義塾大学職員
国籍 日本の旗 日本
教育 慶應義塾大学名誉博士
最終学歴 慶應義塾大学文学部卒業
活動期間 1937年 -
ジャンル ノンフィクション
主題 福澤諭吉の事績研究
代表作考証 福澤諭吉』(1992年)
主な受賞歴 第55回日本学士院賞(1965年)[1]
デビュー作福澤諭吉襍攷』(1942年)
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富田 正文(とみた まさふみ、1898年明治31年)8月20日 - 1993年(平成5年)8月27日)は、日本作家編集者福澤諭吉研究者。昭和期から平成期の慶應義塾大学職員・名誉博士。第55回日本学士院賞受章[1]

経歴

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茨城県水戸市出身。水戸中学校慶應義塾大学文学部卒業。水戸藩出身の『時事新報』主幹・石河幹明に認められて在学中からその助手を務めて『福澤諭吉伝』の編纂に参加、卒業後も職員としてその完成に尽力した。『福澤諭吉伝』完成以後も福澤諭吉の事績研究にあたり、それが評価されて1938年(昭和13年)から文学部講師を兼ねて明治文化について講義することになる。

当時の塾長小泉信三も富田に信任をおいて慶應義塾の新塾歌の作詞を担当させた。戦後は慶應通信(現在の慶應義塾大学出版会)に移り、後に社長・会長にまで至る。社業の傍ら、14年の歳月をかけて『福澤諭吉全集』を完成させ[2][3]、その後も94歳で福澤研究の集大成である『考証 福澤諭吉』を完成させた[4][5]。また、慶應義塾福澤研究センターの設立にも尽力した。『福澤諭吉全集』の功績により1964年(昭和39年)に慶應義塾大学からは名誉博士称号を、1965年(昭和40年)に日本学士院からは日本学士院賞を授与された[1]

著作

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単著

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  • 『福澤諭吉襍攷』三田文学出版部、1942年。 
  • 『福沢諭吉ものがたり』池田仙三郎 絵、麦書房〈雨の日文庫 第1集 23〉、1958年。 
  • 福沢諭吉書誌』(PDF)大塚巧芸社、1964年http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/pdf/fukuzawa-syoshi.pdf 
  • 『福沢諭吉名言集』ポプラ社〈世界名言集 10〉、1967年。 
  • 考証 福澤諭吉』 上、岩波書店、1992年6月22日。ISBN 4-00-000838-2http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/2/0008380.html 
  • 考証 福澤諭吉』 下、岩波書店、1992年9月16日。ISBN 4-00-000839-0http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/0/0008390.html  - 関係年譜:pp.791-805、巻末:参考文献索引。
  • 『福沢諭吉の漢詩35講』福沢諭吉協会(出版) 文化総合出版(発売)〈福沢諭吉協会叢書〉、1994年8月。ISBN 4-89246-208-X 

編著

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校訂・校注

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監修

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  • 福澤諭吉『草稿 福翁自傳』富田正文 監修、土橋俊一 解題、福澤諭吉協会 編纂、東出版、1980年6月15日。ASIN B000J870EM  - 『福翁自伝』初版の複製1冊、解題1冊、『福翁自伝』草稿の和綴本4冊を収録。
    • 福澤諭吉『草稿 福翁自傳』富田正文 監修、土橋俊一 解題、福澤諭吉協会 編纂、大空社、1998年9月。ISBN 4-7568-0267-2 
  • 福澤諭吉『福澤諭吉 百通の手紙』富田正文 監修、土橋俊一 編集・解説、中央公論美術出版、1984年10月10日。ISBN 4-8055-0155-3 

翻訳

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脚注

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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