富永堅吾
表示
富永 堅吾 とみなが けんご | |
---|---|
誕生 |
1883年12月10日 日本・熊本県菊池市菊陽町 |
死没 |
1960年9月17日(76歳没) 日本・熊本県 |
職業 | 著作家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 熊本師範学校、東京高等師範学校 |
活動期間 | 1925年 - 1960年 |
ジャンル | 歴史 |
代表作 | 「史実宮本武蔵」 |
デビュー作 | 「最も實際的な學生劍道の粋」 |
富永 堅吾(とみなが けんご、1883年(明治16年)12月10日 - 1960年(昭和35年)9月17日)は、日本の著作家。宮本武蔵についての著作が多く、主に歴史などの著作が多い。死後には息子の富永文夫が「史実宮本武蔵」に後書きをしている。
生涯
[編集]幼少期
[編集]明治16年(1883年)に富永大平、シカ(両者生没年不詳)のもとで、現在の熊本県菊池市に生まれる。後に合志義塾で学び、熊本師範学校で学ぶようになる。
教師・教諭・作家時代
[編集]卒業後は、地元に位置する尋常高等小学校に勤める。その後、一度地元を離れ東京高等師範学校に入学。約3年間学んだ後に、広島に移住した。広島高等師範学校の教諭やそれ以外にも東京府立第一中学校、母校の東京高等師範学校の教諭も務めている。
大正14年(1925年)に「最も實際的な學生劍道の粋」でデビュー。他にも、「剣道達人腕比べ」などが出版されている。昭和8年(1933年)に帰郷し、熊本県中央高等女学校の校長を務める。そんな中でも約30年に渡り武道の研究に勤めた。死後、「史実宮本武蔵」の後書きとして、息子の富永文夫が後書きを務めた。
略歴
[編集]- 1883年(明治16年)12月10日:熊本県菊池市菊陽町に生誕
- 1904年(明治37年)3月28日 - 4月13日:熊本師範学校卒業、尋常高等小学校に勤める
- 1906年(明治39年)4月16日:東京高等師範学校入学
- 1909年(明治42年)3月31日 - 4月10日:東京高等師範学校卒業、広島高等師範学校の教諭となる
- 1912年(大正元年)9月7日:東京府立第一中学校の教諭となる
- 1923年(大正12年)3月31日:東京高等師範学校の研究科に入学
- 1924年(大正13年)3月15日 - 11月24日:東京高等師範学校研究科卒業、東京高等師範学校の講師を務める、現役のまま、東京鉄道中学の教諭を務める
- 1925年(大正14年)2月15日:「最も實際的な學生劍道の粋」出版
- 1926年(大正15年)10月20日:「剣道達人腕比べ」出版
- 1931年(昭和6年)5月16日:東京高等師範学校、東京鉄道中学を退職
- 1933年(昭和8年)9月1日:熊本県中央女子高等学校の校長を務める
- 1940年(昭和15年)3月31日:熊本県中央女子高等学校退職
- 1960年(昭和35年)9月17日:死去(76歳)
主な著作
[編集]- 「最も實際的な學生劍道の粋」(1925年)
- 「史実宮本武蔵」(1969年)
- 「剣道五百年史」(1972年)