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富民侯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

富民侯(ふみんこう)は、古代中国の前漢の時代の列侯の一つで、紀元前89年から紀元前71年まであった。封地は沛郡蘄県だが[1]、侯が封じられると県ではなく国といったので、当時は富民国といったはずである。田千秋田順の父子2人がなった。

漢の武帝丞相田千秋を列侯に封じたときに富民侯の名を与えた。侯の呼び名は封じた土地の名からとることが多いが、この場合は異なる。武帝は四方に遠征して領土を拡大したが、国内の負担が大きかった。晩年、征伐を悔やんだ武帝が、「富民」の願いを丞相に寄せたものである[2]。はじめ800戸だったが、武帝が後元2年(前87年)に死んだときの遺詔で1600戸に増えた[3]

田千秋の死後は子の田順が継いだが、田順が罪を得て自殺すると絶えた[4]

脚注

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  1. ^ 班固漢書』食貨志第4上への韋昭の注。ちくま学芸文庫版『漢書』2、445頁注84。
  2. ^ 『漢書』食貨志第4上、西域伝第66下。ちくま学芸文庫版『漢書』2の442頁、8の104頁。
  3. ^ 『漢書』外戚恩沢侯表第6。中央研究院「漢籍全文資料庫」を参照。
  4. ^ a b 『漢書』公孫劉田王楊蔡陳鄭伝第38。ちくま学芸文庫版『漢書』6、59頁。
  5. ^ 『漢書』外戚恩沢侯表第6。
  6. ^ 『漢書』百官公卿表第7下。、昭帝紀第7。ちくま学芸文庫版『漢書』1、226頁。
  7. ^ 『漢書』匈奴伝第64上。ちくま学芸文庫版『漢書』7、588-598頁。

参考文献

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