富山県立高岡西高等学校
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(富山県立高岡女子高等学校から転送)
富山県立高岡西高等学校 | |
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北緯36度45分2.527秒 東経137度0分6.232秒 / 北緯36.75070194度 東経137.00173111度座標: 北緯36度45分2.527秒 東経137度0分6.232秒 / 北緯36.75070194度 東経137.00173111度 | |
過去の名称 |
富山県立高岡高等女学校 富山県立高岡女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富山県 |
校訓 | 聡く 豊かに たくましく |
設立年月日 | 1907年 |
閉校年月日 | 2022年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 普通科人間福祉コース |
学科内専門コース | 人間福祉コース(体育系・福祉系・音楽系) |
学校コード | D116220250022 |
高校コード | 16128E |
所在地 | 〒933-8506 |
富山県高岡市横田町三丁目4番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
富山県立高岡西高等学校(とやまけんりつたかおかにしこうとうがっこう、英: Toyama Prefectural Takaoka Nishi High School)は、富山県高岡市横田町三丁目に所在していた公立の高等学校。
設置学科
[編集]- 普通科
- 人間福祉コース(体育系、福祉系、音楽系の3系列がある)
概要
[編集]創立以来、「聡く 豊かに たくましく」の校風を掲げている。
沿革
[編集]- 1906年(明治39年)12月10日 - 富山県立高岡高等女学校設立を富山県議会で可決[1]。
- 1907年(明治40年)
- 1909年(明治42年)4月12日 - 現在地に校舎を新築移転[2]。
- 1910年(明治43年)12月25日 - 寄宿舎が新築落成[2]。
- 1929年(昭和4年)12月31日 - 講堂を改装[3]。
- 1930年(昭和5年)8月31日 - 運動場拡張に伴い寄宿舎を移転[4]。
- 1933年(昭和8年)11月6日 - 当時高岡に訪れていた与謝野晶子が夫の寛(与謝野鉄幹)とともに高岡高女で講演をした[4]。これを縁に校歌を作詞(辻順治作曲)している。この時、多くの短歌を高岡に残し、真新しい、綺麗な高岡大仏を見て鎌倉大仏より一段と美男であると感嘆したという。[要出典]
- 1940年(昭和15年)
- 1946年(昭和22年)9月11日 - 進駐軍のブーツ大尉が当校を視察[6]。
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革に伴い富山県立高岡女子高等学校と改称(普通課程の女子単独校)[7]。
- 9月1日 - 富山県立高岡商業高等学校と統合して富山県立高岡西部高等学校と改称(全日制普通科、商業科および、夜間定時制の第二商業科)[7]。
- 1950年(昭和25年)11月4日 - グラウンド拡張工事完成(隣接土地1,174坪を買収し整地)[8]。
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)3月31日 - 本館第二期工事完了[9]。
- 1954年(昭和29年)2月28日 - 本館第三期工事完了[9]。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 4月1日 - 商業科を富山県立高岡商業高等学校へ移管し、富山県立高岡女子高等学校を復活開校(普通科・被服科)[10]。
- 8月5日 - 西館校舎第二期工事竣工[10]。
- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 被服科を家政科と改称[12]。
- 1964年(昭和39年)4月30日 - 西館校舎第三期工事竣工[12]。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)3月26日 - 看護等(実習室)第一期工事竣工。同年10月31日には第2期工事竣工[14]。
- 1969年(昭和44年)8月25日 - 生活館を富山県へ寄付[14]。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 家政科募集停止[15]。
- 1972年(昭和47年)3月31日 - テニスコート竣工[15]。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 商業家庭科を新設[16]。
- 1977年(昭和52年)8月11日 - 鉄筋三階建ての本館校舎竣工[17]。
- 1980年(昭和55年)
- 1983年(昭和58年)3月28日 - 富山県の公共施設に対する文化性導入によるゆとりと潤いのある生活環境づくりの一環として、カラーブロックによる前庭舗装工事が完工[19]。
- 1985年(昭和60年)2月12日 - 第2体育館・東館増築竣工[20]。
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)3月30日 - 西館特別教室リフレッシュ(窓枠取り替え、外壁および内壁塗装)完工[22]。
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)11月9日 - トレーニングルーム竣工[24]。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 家政科を募集停止し、普通科に人間福祉コース導入[24]。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)3月1日 - 中庭竣工。
- 1999年(平成11年)3月2日 - 部室竣工。
- 2000年(平成12年)3月31日 - グラウンド改修完了。
- 2001年(平成13年)4月1日 - 衛生看護科募集停止。
- 2007年(平成19年)
- 8月31日 - 生徒ホール改修工事完成。
- 2010年(平成22年)8月30日 - 本館・東館耐震補強工事完成。
- 2012年(平成24年)
- 1月6日 - 西館耐震補強工事完成。
- 12月25日 - 自転車置場1棟改築。
- 2014年(平成26年)
- 1月27日 - 看護棟耐震補強工事完成。
- 1月30日 - 管理教室棟外壁改修工事完成。
- 11月25日 - 看護棟外壁改修工事完成。
- 2015年(平成27年)12月17日 - 特別教室棟(東館)等耐震補強工事完成。
- 2016年(平成28年)
- 11月11日 - 第1体育館吊り天井等落下防止対策工事完成。
- 12月20日 - 東館等外壁改修工事完成。
- 2018年(平成30年)12月10日 - 生徒用トイレ洋式化改修工事完成。
- 2020年(令和2年)4月1日 - 生徒募集停止。
- 2022年(令和4年)3月31日 - 富山県立高岡高等学校との統合に伴い廃校。跡地は高岡市立高岡西部中学校、ならびに校区内の西条・横田・川原の3小学校の統合校となる。
部活動
[編集]- 運動部 - 野球、サッカー、バレーボール(女)、バスケットボール(男・女)、ソフトテニス(男・女)、バドミントン(女)、ダンス、卓球、弓道、陸上競技
- 文化部 - 合唱、美術、書道、茶道、華道、演劇、情報処理
- 同好会 - 英会話、JRC
不祥事
[編集]- 2006年10月24日に同市内の高岡南高校において発覚したことで全国に広まった高等学校必履修科目未履修問題においては高岡西高校においても未履修科目が存在し、当時3年生だった学年の158人が1年次に情報Aの十数時間分を理科総合Aとして履修していた。そのため、受験直前である2006年12月25日まで情報Aの補修が行われた[27]。
- 2011年11月3日、県薬事研究所(射水市中太閤山)において放射性物質である酢酸ウラニウムが無届で保管されていることが発覚し、県が他の施設について調べた結果、新たに6つの施設で硝酸ウラニルや酢酸ウラニルなどの入った瓶計12本、金属容器に入った酸化ウラン含有粉末約75グラムなど、合わせて5種類の放射性物質が無届で保管されていることが確認された。高岡西高校においてもその内の1つが見つかった。いずれも国の使用許可が必要で、昭和52年、少量の保管でも国への届け出が必要になったが、申請をしていなかった。県によると、購入したのは昭和40年代までで、使用していなかったという。放射線量は、最大で毎時0.1〜0.2マイクロシーベルトだったという[28]。
- 2018年8月22日、大阪府北部地震を受けて県が県立学校のブロック塀を緊急点検した結果、高岡西高校のテニスコートと住宅の間にあるブロック塀について、強度を高める控え壁の間隔が基準より広く、建築基準法違反の疑いがあることが判明した。
著名な卒業生
[編集]- 中川瑞貴 - ソフトテニス選手 2016年アジアソフトテニス選手権ダブルス優勝
- 南桂子 - 銅版画家(高岡高等女学校時代)
- 田畑めぐみ - フリーアナウンサー
- 毛利未央 - タレント
- 瀧内公美 - 女優
- 山田靑子 - バドミントン選手
- 高橋沙也加 - バドミントン選手
- 谷口輝子 - 宗教家
- はじめしゃちょー - YouTuber
- 高松美咲 - 漫画家
校歌
[編集]作詞:米田憲三、作曲:松本淸
その他
[編集]- 各種証明書(卒業証明書、成績証明書、単位修得証明書、調査書等)の発行については事務移管先の富山県立高岡高等学校で行っている[29]。
参考文献
[編集]- 北日本新聞社編集局「瞳みつめて」、2007年、ISBN 978-4-86175-024-3
- 富山県立高岡西高等学校九十周年記念誌編集委員会「90年のあゆみ」、1997年
- 富山県立高岡西高等学校創立百周年記念事業実行委員会「高岡西高校百年史」、2007年
- 富山新聞社報道局「菊友薫りて-県立高岡高女・高岡西部高・高岡女子高校学園物語-」、1984年
- 名簿編集委員会「会員名簿-高岡高等女学校、高岡西部高等学校、高岡女子高等女学校-」、1966年、1973年、1991年
- 光文社新書、小林哲夫「東大合格高校盛衰史」P431『東大合格1人校①』、2009年、ISBN 978-4-334-03523-5
- 高岡西高校「百年をうたう」、2007年
- 高岡西高校、井沢元彦「歴史に学ぶ 富山県立高岡西高等学校創立百周年記念講演録」,2007年
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)12頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)13頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)17頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)18頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)20頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)22頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)23頁。
- ^ a b c 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)24頁。
- ^ a b c 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)25頁。
- ^ a b c d e 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)26頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)27頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)28頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)29頁。
- ^ a b c 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)30頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)31頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)32頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)34頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)35頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)36頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)37頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)40頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)41頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)43頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)45頁。
- ^ a b 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)46頁。
- ^ 『九十年の歩み』(1997年10月24日、富山県立高岡西高等学校発行)47頁。
- ^ 呉羽、氷見、福光など「未履修高」が拡大 卒業危機1300人に 私立2高も - 富山新聞(2006年10月28日)
- ^ 無許可で放射性物質保有 2高校含む県の6施設 - 北日本新聞(2011年11月29日)
- ^ 高岡西高校の卒業生の方へ - 富山県立高岡高等学校ホームページ