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富山県立石動高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富山県立石動高等学校
地図北緯36度40分29.73秒 東経136度51分40.831秒 / 北緯36.6749250度 東経136.86134194度 / 36.6749250; 136.86134194座標: 北緯36度40分29.73秒 東経136度51分40.831秒 / 北緯36.6749250度 東経136.86134194度 / 36.6749250; 136.86134194
過去の名称 富山県立石動高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 富山県の旗 富山県
学区 (普通科) 砺波学区
(商業科) 全県学区
校訓 自主 誠実 実践
設立年月日 1924年
共学・別学 男女共学
分校 富山県立小矢部園芸高等学校[1]
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
商業科
学校コード D116220950016 ウィキデータを編集
高校コード 16143J
所在地 932-8540 
富山県小矢部市西町6番33号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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富山県立石動高等学校の位置(富山県内)
富山県立石動高等学校

富山県立石動高等学校(とやまけんりつ いするぎこうとうがっこう、: Toyama Prefectural Isurugi High School)は、富山県小矢部市西町にある公立高等学校。通称は「石高(いしこう)」。

新設校以外では、富山商業高校とともに県下で初めて男子制服にブレザー&ネクタイを1987年昭和62年)度入学生より採用している(同時に女子制服もモデルチェンジした)。

設置学科

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沿革

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  • 1924年大正13年)
    • 3月 - 石動町立石動実科高等女学校設立認可。
    • 5月 - 西砺波郡石動町小矢部(現在の中央公民館)で町立石動実科高等女学校開校。
  • 1926年(大正15年)4月 - 高等女学校組織変更により富山県石動高等女学校と改称、校章制定。
  • 1929年(昭和4年)2月 - 富山県に移管され富山県立石動高等女学校と改称、校歌制定。
  • 1937年(昭和12年)12月 - 西砺波郡石動町上野本1112番地(現在地・西町6番33号)に校舎落成。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 農業科、看護補習教育科設置。
  • 1945年(昭和20年)3月 - 附設看護婦養成所と指定。
  • 1946年(昭和21年)3月 - 農業科、附設看護婦養成所募集停止。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 専攻科設置。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月 - 専攻科募集停止。
    • 4月- 学制改革により富山県立石動高等学校と改称、同時に地方女子教育振興のため定時制分校を南谷、荒川、西五位、松沢に設置。
    • 5月- 開校記念式挙行。
    • 9月- 新制高等学校の整理統合により男女共学制実施、福岡分校設置。
  • 1949年(昭和24年)9月 - 校章制定。
  • 1950年(昭和25年)4月 - 家庭科設置、定時制夜間部併設。
  • 1953年(昭和28年)
    • 3月 - 定時制夜間部、全日制家庭科募集停止、南谷・福岡・荒川・西五位・松沢分校廃止。
    • 4月 - 南谷分校再設置。
    • 9月 - 福岡分校再設置。
    • 12月 - 校歌制定。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 定時制夜間部募集復活、全日制家庭科募集。
  • 1957年(昭和32年)
    • 1月 - 図書館竣工。
    • 4月 - 家庭科募集停止。
  • 1958年(昭和33年)4月 - 家庭科募集、南谷分校募集停止。
  • 1960年(昭和35年)4月 - 若林分校が富山県立砺波高等学校より移管される。
  • 1961年(昭和36年)4月 - 体育館竣工。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 商業科設置。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 福岡分校を若林分校に統合し生活科新設。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月 - 全日制家政科募集停止。
    • 8月 - 運動場拡張。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 若林分校、富山県立富山産業高校小矢部教場と改称(本校より分離)。
  • 1968年(昭和43年)3月 - 商業科実習棟竣工。
  • 1972年(昭和47年)3月 - 柔剣道場竣工。
  • 1974年(昭和49年)
    • 3月 - 定時制募集停止。
    • 4月 - 小矢部産業高等学校、石動高等学校小矢部分校となる。
  • 1978年(昭和53年)6月 - 管理棟・教室棟(第1期工事・現校舎・鉄筋)竣工。
  • 1979年(昭和54年)
    • 3月 - 甲翔館(野球部雨天練習場)竣工。
    • 6月 - 保健室・教室棟(第2期工事)竣工。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月 - 特別教室棟(第3期工事)竣工、前庭舗装。
    • 7月 - 中庭造園。
  • 1986年(昭和61年)
    • 3月 - グラウンド全面改修工事竣工。
    • 10月 - 体育館床張替工事竣工。
  • 1987年(昭和62年)4月 - 制服改定。
  • 1989年平成元年)3月 - 図書室・礼法室棟竣工。
  • 1990年(平成2年)
    • 9月 - 第2体育館並びに渡り廊下竣工。
    • 12月 - グラウンド照明設備竣工。
  • 1991年(平成3年)6月 - 自動販売機コーナー寄付採納。
  • 1992年(平成4年)3月 - 第2体育館南側空地整備緑化工事竣工、学校拡張用地(第2グラウンド)の取得。
  • 1993年(平成5年)3月 - 第2グラウンド造成整備工事竣工。
  • 1995年(平成7年)4月 - 小矢部分校(全日制)が富山県立小矢部園芸高等学校(昼間定時制)に名称変更。
  • 1999年(平成11年)
    • 2月 - 第1体育館改修工事竣工。
    • 3月 - 甲翔館(野球部雨天練習場)改修工事竣工。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月 - 商業棟屋上防水工事竣工。
    • 10月 - テニスコート改修工事竣工。
  • 2002年(平成14年)3月 - 屋外トイレ竣工。
  • 2004年(平成16年)3月 - 児童生徒地域交流施設(セミナーハウス「矢江館」)竣工。
  • 2009年(平成21年)2月 - 第1体育館耐震補強工事竣工。
  • 2011年(平成23年)3月 - 商業棟耐震補強工事竣工。
  • 2012年(平成24年)11月 - 特別教室棟耐震補強工事竣工。
  • 2014年(平成26年)1月 - 第2体育館ピロティ改修工事竣工。
  • 2015年(平成27年)3月 - 普通教室棟耐震補強工事竣工。
  • 2016年(平成28年)3月 - 第1体育館吊り天井等落下防止対策工事竣工。
  • 2020年令和2年)3月 - 第1グラウンド改修工事竣工。
  • 2021年(令和3年)4月 - 武道場竣工。
  • 2024年(令和6年)10月17日 - 創立100周年を記念し、前庭に建てられた校歌碑の除幕式が挙行される[2]

部活動

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ホッケー部が全国の強豪として名高い。

野球部においては1978年夏(第60回)に砺波地区から初出場している。

  • 運動部 - 野球、陸上競技、ホッケー(男・女)、バスケットボール(男・女)、バレーボール(女)、ソフトテニス(男・女)、バドミントン(男・女)、卓球、柔道
  • 文化部 - 放送、吹奏楽、新聞、英語、科学、美術、音楽、書道、茶道、珠算経理

校歌

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作詞:田部重治、作曲:小松清

出身者

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アクセス

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脚注

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  1. ^ 富山県立高等学校等の分校の設置に関する規則 平成21年10月1日 富山県報 号外(3)(PDFファイル)。
  2. ^ 『北日本新聞』2024年10月18日付22面『創立100周年記念し校歌碑 石動高 在校生ら除幕』より。

関連項目

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外部リンク

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