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富山県立富山高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富山県立富山高等学校
地図北緯36度40分21.5秒 東経137度13分2.61秒 / 北緯36.672639度 東経137.2173917度 / 36.672639; 137.2173917座標: 北緯36度40分21.5秒 東経137度13分2.61秒 / 北緯36.672639度 東経137.2173917度 / 36.672639; 137.2173917
過去の名称 富山県中学校
富山県尋常中学校
富山県富山尋常中学校
富山県第一中学校
富山県立富山中学校
富山県立富山南部高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 富山県の旗富山県
学区 (普通科) 富山学区
(探究科学科) 全県学区
校訓 慎重
自ラ持シ
敢為
事ニ当ル
設立年月日 1885年
創校記念日 1月25日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
探究科学科(理数科学科・人文社会科学科)
学期 3学期制
学校コード D116220150041 ウィキデータを編集
高校コード 16114E
所在地 939-8076
富山県富山市太郎丸1番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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富山県立富山高等学校の位置(富山県内)
富山県立富山高等学校

富山県立富山高等学校(とやまけんりつ とやまこうとうがっこう、: Toyama Prefectural Toyama High School)は、富山県富山市太郎丸にある公立高等学校。通称は富山、富高、富校(富校の杜の通称)。

概要

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  • 県内の高等小学校の卒業生による県内への中学校設置の訴えを機に富山県が中学校設置を決定(県議会での審議は1884年明治17年)3月)[1]1885年(明治18年)に旧制中学校として、現在の富山市総曲輪に創立。
  • これ以前に、1877年(明治10年)11月に富山県最初の公立中学校である『致遠中学校』が富山師範学校内に設立されていたが、富山町の単独経営の様な状態であるため財政上困難になり教育令や中学校教則大綱に対応出来なくなったため1881年(明治14年)に休校、1883年(明治16年)に廃校になっていた[2]。したがって、本校が現存する富山県内で最古の高等学校ということになる。
  • 以来、「学びたきもの集う」という創校の志に基づいて運営されている。
  • 校訓「慎重 自ラ持シ 敢為 事ニ当ル」

沿革

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(沿革節の個別に出典が提示されていない箇所の出典は公式サイト[3]

年表

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  • 1885年(明治18年)1月25日 - 『富山県中学校』として富山市総曲輪に誕生[1]。開校当時はまだ校舎は未完成であったが、数年以内に徐々に整備されていった[4]
  • 1886年(明治19年)12月20日 - 中学校令により『富山県尋常中学校』に改称[5]
  • 1889年(明治22年)1月25日 - 校旗樹立式[6]
  • 1897年(明治30年)9月 - 校舎増築[7]
  • 1898年(明治31年)4月 - 高岡尋常中学校(現・富山県立高岡高等学校)開校に伴い、『富山県富山尋常中学校』に改称[8]
  • 1899年(明治32年)
    • 4月1日 - 『富山県第一中学校』に改称[9]
    • 8月12日 - 富山市の大火で富山市総曲輪にあった校舎焼失。市内寺院を仮校舎に充て授業を続ける[7]
    • 11月13日 - 現在地に校舎を建設することが決まる(候補地は他にも五福を含めた呉羽地区も含まれていた)[10]
  • 1900年(明治33年)
    • 7月1日 - 8月19日 - 現在地の太郎丸に建設中の校舎を関西府県連合共進会会場として使用。閉会後は校舎向けに補修される[10]
    • 10月29日 - 校舎の新築が完了し、移転。11月1日より授業開始。旧校舎の跡地は売却され、一部は大日本武徳会富山支部の演武場となった[10]
  • 1901年(明治34年)10月4日 - 『富山県立富山中学校』と改称[9]
  • 1923年大正14年)4月 - 新校舎本館完成(全工事完了は1929年昭和4年)5月7日)旧校舎の一部は富山県師範学校、富山県女子師範学校などに移築された[11]
  • 1930年(昭和5年) - 運動場整備[12]
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月1日 - 富山大空襲が発生するも、校内には一発も焼夷弾の被弾が無く、周囲を含めて類焼を免れた[13]
    • 8月5日 - 不発弾回収中の発火実験中に不発弾が暴発し、居合わせた数名の生徒中1人即死、1人重傷翌日死亡、1人重傷、1人軽傷の被害を出した[13]
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 学制改革により富山中学校閉校[14]
    • 4月 - 学制改革により富山県立富山高等学校と改称[14]
    • 9月1日 - 高等学校統合により『富山県立富山南部高等学校』と改称。これにより生徒数約2,300名と県内一のマンモス校となった。普通科と通信教育部は本校舎、他は旧富山女子高等学校の分校舎に入った[15]
  • 1953年(昭和28年)10月1日 - 現在の『富山県立富山高等学校』と改称[16]
  • 1962年(昭和37年)11月1日 - 鉄筋コンクリート造3階建の理科棟完成(同年5月1日に着工していた)[17]
  • 1968年(昭和43年)4月 - 全国14道県の高校が全国で初めて理数科を設置するのに合わせ、本校でも高岡高等学校と同時に理数科を設置[18]
  • 1971年(昭和46年)
    • 5月23日 - 木造の本館焼失。講堂、東西体育館の一部、柔剣道場なども類焼[19]。授業を行わなかったのは1日のみで校内各施設やプレハブ校舎(6月19日完成)を仮校舎として授業が続けられた[20]
    • 9月28日 - 新校舎着工[21]
  • 1972年(昭和47年)7月1日 - 昨年9月より着工していた3階建ての新校舎完成[22]
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 南富山駅 - 地鉄笹津駅間が廃止(笹津線通学生に影響)
  • 1985年(昭和60年)- 百周年記念館完成。
  • 1997年平成9年) - 北辰会館完成。
  • 2002年(平成14年) - スーパーサイエンスハイスクール (SSH) に指定。
  • 2011年(平成23年) - 理数科の募集を停止。探究科学科(理数科学科・人文社会科学科)を設置。
  • 2023年令和5年) - 少子化により普通科200人から160人に、1学級減[23]

分校

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かつては以下の分校が所在していた。

教育目標

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  • 高邁な理想に向かって、自ら考え行動できる優れた知性を育成する。
  • 情操豊かにして自他敬愛の心を持ち、品格ある徳性を陶冶する。
  • 平和な世界や国家・郷土の形成者として、たくましい体力・気力を養成する。

設置学科

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  • 普通科
  • 探究科学科(探究科学科は下記2学科の総称)
    • 理数科学科
    • 人文社会科学科

1学年の定員は、普通科4学級160名と探究科学科2学級80名の計240名である。

主な学校行事

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  • 4月 - 入学式、新入生共同宿泊学習(1年)
  • 5月 - 遠足
  • 6月 - 球技大会
  • 7月 - オープンハイスクール
  • 8月 - 東京方面研修(2年)、職業人との懇談会(1年)
  • 9月 - 体育大会、文化活動発表会[27]
  • 1月 - 予餞会[28]
  • 3月 - 卒業証書授与式

部活動

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校歌

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作詞:大島文雄、作曲:山田耕筰

著名な出身者

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マスコミ

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学者

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政治

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行政

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司法

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文学

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芸能

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財界

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アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)20 - 21頁/『官報』1885年2月3日学事欄「中学校開設(富山県報告)」によれば、第一回入学者は114名。
  2. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)13 - 15頁。
  3. ^ 校風と沿革”. 富山県立富山高等学校. 2019年1月23日閲覧。
  4. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)47 - 48頁。
  5. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)35頁。
  6. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)81頁。
  7. ^ a b 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)98頁。
  8. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)38頁。
  9. ^ a b 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)40頁。
  10. ^ a b c 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)102 - 104頁。
  11. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)401 - 406頁。
  12. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)406頁。
  13. ^ a b 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)951頁。
  14. ^ a b 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)999頁。
  15. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,001、1,004頁。
  16. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,168頁。
  17. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,211頁。
  18. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,220 - 1,221頁。
  19. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,263頁。
  20. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,267頁。
  21. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1267頁。
  22. ^ 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市発行)377ページ。
  23. ^ 5高校の1学級減決定 普通科、23年度から 富山中部、富山、高岡、氷見、雄山富山新聞2022/8/31
  24. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,054頁。
  25. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,055頁。
  26. ^ 『富中富高百年史』(1985年10月1日、富山高等学校創校百年記念事業後援会発行)1,056頁。
  27. ^ いわゆる「文化祭」に当たる行事。各クラスが自分たちで設定したテーマに沿った調査・展示を行う。他に、部活動・委員会の展示などがある。
  28. ^ 卒業生に対し在校生が出し物をする。
  29. ^ JR東海社長"新幹線本数はまだ増やせる PRESIDENT Online 2018年12月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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