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富山県立大沢野工業高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富山県立大沢野工業高等学校
地図北緯36度35分12秒 東経137度12分51秒 / 北緯36.586778度 東経137.214167度 / 36.586778; 137.214167座標: 北緯36度35分12秒 東経137度12分51秒 / 北緯36.586778度 東経137.214167度 / 36.586778; 137.214167
過去の名称 富山県立富山工業高等学校大沢野分校
国公私立の別 公立学校
設置者 富山県の旗 富山県
校訓 創造・至誠・進取
設立年月日 1961年
閉校年月日 2012年3月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 (閉校時の学科)
機械科
電子機械科
電気情報科
学期 3学期制
高校コード 16119F
所在地 939-2206
富山県富山市坂本2600
外部リンク 公式サイト(ウェイバックマシン・2016年3月4日アーカイブ分)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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富山県立大沢野工業高等学校の位置(富山県内)
富山県立大沢野工業高等学校

富山県立大沢野工業高等学校(とやまけんりつ おおさわのこうぎょうこうとうがっこう、: Toyama Prefectural Osawano Technical High School)は、かつて富山県富山市坂本にあった公立工業高等学校富山県立富山工業高等学校との統合により、2012年平成24年)3月末に閉校した。

設置学科

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  • 機械科 1学級40名編成(2009年度末で募集停止)
  • 電子機械科 1学級40名編成(2009年度末で募集停止)
  • 電気情報科 1学級40名編成(2006年、電気科と情報技術科の統合により新設、2009年度末で募集停止)
  • 情報技術科(2006年度末で学科廃止)
  • 電気科(2006年度末で学科廃止)

校歌

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作詞:大島文雄、作曲:團伊玖磨

部活動

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運動部では、ボート部が全国大会で優勝するなどの実績がある。

委員会

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沿革

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  • 1959年昭和34年)
    • 4月13日 - 富山県立富山工業高等学校大沢野分校として、当時の大沢野中学校内に仮校舎を設けて、電気通信課程80名の生徒の新入生を迎え開校した[1]
    • 9月12日 - 坂本馬鞍谷割(俗称カクレザト)の畑地約10,000m2を買収し、旧大沢野小学校校舎を移築改造した校舎の建設に着手[2]
  • 1960年(昭和35年)1月29日 - 校舎第1期工事完成[3]
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月1日 - 富山県立大沢野工業高等学校として独立[4]、県下で3番目の工業科単独高校となる。
    • 12月9日 - 同年10月5日より起工していたグラウンド(約33,000m2)が完成[5]
  • 1962年(昭和37年)9月20日 - 増築起工式[6]
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月10日 - 本館のうち1,500m2(鉄筋4階建て)と機械金属実習室(1,122m2)が完成[7]
    • 12月20日 - 第2期工事(本館鉄筋コンクリート4階建て960m2、金属実習室鉄筋コンクリート3階建て508m2、実習室平屋建鉄骨392m2)が完成[8]
  • 1967年(昭和42年)11月1日 - 全工事完了(設計は飯森建築事務所、施工は真柄組の請負)[9]
  • 2006年(平成18年)- この年度から機械科40名、電子機械科40名、電気情報科40名の3学科3学級編成(1学年120名)となる。
  • 2009年(平成20年)
    • - 富山工業高等学校との統合に伴い、2010年(平成21年)度以降の全学科募集を停止。
    • - この年、最後となる旭が丘展(文化祭)が開催された。
  • 2012年(平成24年)
    • 3月3日 - 最後の学年(2009年度入学生)対象の卒業証書授与式と閉校式を挙行。
    • 3月31日 - 閉校。

その他

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アクセス

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  • バス(富山地方鉄道)の場合
    • 富山駅前~田村町(31、32系統):所要時間約30分、距離約13km
    • 富山駅前~大沢野工業高校口(38系統):所要時間約30分、距離約13km
    • 笹津駅前~田村町(31、32系統):所要時間約7分、距離約4km
  • 鉄道(JR高山本線)の場合
    • 富山駅~笹津駅 所要時間約35分

主な出身者

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脚注

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  1. ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)94頁。
  2. ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)102頁。
  3. ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)109頁。
  4. ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)143頁。
  5. ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)156頁。
  6. ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)172頁。
  7. ^ 『大沢野町史 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年2月20日、大沢野町編集・発行)210頁。
  8. ^ 『大沢野町史 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年2月20日、大沢野町編集・発行)226頁。
  9. ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)283 - 284頁。

関連項目

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外部リンク

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