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富山港駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富山港駅
構内(1954年8月)
とやまこう
Toyamakō
大広田 (1.4 km)
地図
所在地 富山県富山市西宮海岸通り
北緯36度45分35.74秒 東経137度13分40.33秒 / 北緯36.7599278度 東経137.2278694度 / 36.7599278; 137.2278694座標: 北緯36度45分35.74秒 東経137度13分40.33秒 / 北緯36.7599278度 東経137.2278694度 / 36.7599278; 137.2278694
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 富山港線
キロ程 1.4 km(大広田起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1936年昭和11年)12月27日
廃止年月日 1986年(昭和61年)11月1日
備考 貨物駅
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富山港駅(とやまこうえき)とは、かつて富山県富山市西宮海岸通りにあった日本国有鉄道富山港線廃駅)である。

歴史

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1975年(昭和50年)9月6日に撮影した当駅周辺の航空写真

東岩瀬港においては1922年大正11年)4月より着手した第一期拡張工事が、1928年昭和3年)3月に完了して1,000トン級汽船の入港が可能となり、1929年(昭和4年)4月からは3,000トン級汽船の入港を可能とすべく第二期拡張工事に着手し、これも1936年(昭和11年)3月に竣工した[1][2]。これによって東岩瀬港における貨物取扱量は、1931年(昭和6年)には移出入合計19,717トンであったが、1934年(昭和9年)には47,639トンにまで増大し、東岩瀬町周辺の工業地帯化も進んでいった[1][3]

こうした貨物輸送需要増加の状況を背景として、富岩鉄道は貨物取扱駅の拡大や線路改良工事を進めると同時に[4]1931年(昭和6年)4月11日に西宮 - 岩瀬埠頭間の鉄道敷設免許を受け[5]、臨港線建設の計画を進めた[6]。そして同社は1936年(昭和11年)12月27日に高等学校前駅(後の蓮町(馬場記念公園前)駅) - 越中岩瀬駅(後の東岩瀬駅)間に西ノ宮信号所(後の萩浦小学校前駅)を設け、そこから岩瀬埠頭駅まで通ずる貨物線を開業させたのである[7][6]。当初は高等学校前駅より分岐して富岩運河沿いに東岩瀬港に通ずるルートが計画されていたが[8]、同港拡張工事の状況に鑑みこのような形に変更された[6]。これにより富岩鉄道線における貨物輸送量は更に増加していった[6]

昭和40年代に入るとモータリゼーションによって富山港線における輸送量は貨客共に漸次減少していった[9]。また、オイルショックや産業構造の変化に伴い、富山市北部工業地帯の工場は業種転換や撤退を余儀なくされる事例が相次いだ[9]。このような情勢や国鉄の貨物輸送合理化方針によって1986年(昭和61年)11月1日に富山港線における貨物運輸営業は廃止され、同時に当駅も廃止された[9][10][11]

年表

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  • 1931年昭和6年)4月11日:富岩鉄道が西宮 - 岩瀬埠頭間の鉄道敷設免許を受ける[5]
  • 1936年(昭和11年)12月27日:富岩鉄道線西ノ宮信号所(後の大広田駅) - 当駅間開通と同時に岩瀬埠頭駅として富山県上新川郡東岩瀬町に開業し、貨物の取扱を開始する[7][12]。『官報』に「旅客運輸ハ設備未完成ニ付本年四月頃開始ノ予定ノ趣ナリ」とあるが[7]、結局旅客運輸営業は行われなかった[12]
  • 1941年(昭和16年)12月1日:富山電気鉄道が富岩鉄道を合併し、同社富岩線の駅となる[13][14]
  • 1943年(昭和18年)
  • 1986年(昭和61年)11月1日:富山港線富山駅 - 当駅間の貨物運輸営業を廃止し[10]、同線大広田駅 - 当駅間を廃止する[11]

貨物取扱

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1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった[16]

  • 昭和電工線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.7粁)
  • 日本海船渠工業線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.4粁)

1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった[17]

  • 昭和電工線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.8粁)
  • 日本海船渠工業線(第三者使用:日本通運、富山通運及び日本海コンクリート工業、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.4粁)

1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[18]

  • 昭和電工線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.8粁、総延長粁程:2.2粁)
  • 日本海重工業線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車及び移動機関車、作業粁程:0.5粁(0.4粁(機))、総延長粁程:0.6粁)

1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[19]

  • 富山昭和電工線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、作業粁程:日本通運所有機関車、作業粁程:0.8粁、総延長粁程:2.0粁)

脚注

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  1. ^ a b 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(36頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  2. ^ 港湾協会第九回通常総会富山準備委員会、『富山県の産業と港湾』(53及び56頁)、1936年(昭和11年)5月、港湾協会第九回通常総会富山準備委員会
  3. ^ 港湾協会第九回通常総会富山準備委員会、『富山県の産業と港湾』(64頁)、1936年(昭和11年)5月、港湾協会第九回通常総会富山準備委員会
  4. ^ 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(37頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  5. ^ a b 富山地方鉄道株式会社編、『富山地方鉄道五十年史』(155頁) 、1983年(昭和58年)3月、富山地方鉄道株式会社
  6. ^ a b c d 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(40頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  7. ^ a b c 『官報』(426頁)、1937年(昭和12年)1月20日、内閣印刷局
  8. ^ 富山商工会議所編、『とやま 1934』(11頁)、1934年(昭和9年)10月、富山商工会議所
  9. ^ a b c 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(52頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  10. ^ a b 昭和61年日本国有鉄道公示第138号(『官報』、1986年(昭和61年)10月30日、大蔵省印刷局)
  11. ^ a b 昭和61年日本国有鉄道公示第139号(『官報』、1986年(昭和61年)10月30日、大蔵省印刷局)
  12. ^ a b 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、163頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  13. ^ a b 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(72頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  14. ^ a b 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(35頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
  15. ^ a b 昭和18年鉄道省告示第119号(『官報』、1943年(昭和18年)5月25日、大蔵省印刷局)
  16. ^ 名取紀之・瀧澤隆久編、『トワイライトゾ~ン・マニュアル8』(『レイル・マガジン』第16巻15号)、1999年(平成11年)11月、ネコ・パブリッシング
  17. ^ 名取紀之・瀧澤隆久編、『RM POCKET 11 トワイライトゾ~ン・マニュアルⅣ』、1995年(平成7年)10月、ネコ・パブリッシング
  18. ^ 日本国有鉄道貨物局編、『専用線一覧表 昭和45年10月1日』(213及び214頁)、1970年(昭和45年)、日本国有鉄道貨物局
  19. ^ 名取紀之編、『トワイライトゾ~ン・マニュアル6』(『Rail Magazine』別巻)第14巻第17号、1997年(平成9年)10月、ネコ・パブリッシング

参考文献

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  • 日本国有鉄道旅客局編、『日本国有鉄道 停車場一覧 昭和61年6月1日現在』(49頁)、1985年(昭和60年)9月、日本交通公社出版事務局(粁程や所在地等の事項は同書による)

関連項目

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