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富山市立水橋中部小学校

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富山市立水橋中部小学校
富山市立水橋中部小学校
富山市立水橋中部小学校
地図北緯36度45分6.041秒 東経137度18分24.991秒 / 北緯36.75167806度 東経137.30694194度 / 36.75167806; 137.30694194座標: 北緯36度45分6.041秒 東経137度18分24.991秒 / 北緯36.75167806度 東経137.30694194度 / 36.75167806; 137.30694194
国公私立の別 公立学校
設置者 富山市
設立年月日 1890年4月
創立記念日 1873年3月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B116220100411 ウィキデータを編集
所在地 939-0509
富山県富山市水橋町568番地[1]
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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富山市立水橋中部小学校の位置(富山県内)
富山市立水橋中部小学校

富山市立水橋中部小学校(とやましりつ みずはしちゅうぶしょうがっこう)は富山県富山市にある公立小学校

沿革

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個別に出典が提示されていない箇所の出典→[2]

  • 1873年3月 - 東水橋町、西水橋町と連合して第6大学区新川郡管内第10中学区新川郡水橋町第14番校として創立。
  • 1875年4月 - 大成小学校と命名。
  • 1876年10月 - 女子教育普及のため菊芳小学校設立。
  • 1887年4月 - 大成小学校へ菊芳小学校が合併し、大成小学校尋常科となる。同時に東水橋小学校簡易科設置。
  • 1890年4月 - 大成小学校と東水橋小学校を廃止し、東水橋尋常高等小学校を設置。
  • 1892年9月 - 東水橋尋常高等小学校となる。
  • 1912年(明治45年) - 東水橋尋常高等小学校(現富山市立水橋中部小学校)で児童65名が4泊5日で立山に登ったのが、学校登山の始まり[3]
  • 1917年4月 - 校舎を増築し、全校舎竣工落成。
  • 1923年11月 - 雨天体操場新築落成。
  • 1928年11月 - 御大典記念事業として現在の運動場3,010坪新設。
  • 1935年10月 - 奉安殿竣工。
  • 1937年4月 - 東水橋尋常高等小学校が高等科を廃止し、東水橋尋常小学校となる。
  • 1940年11月 - 水橋町新設に伴い、中新川郡水橋町立水橋中部小学校と改称。
  • 1941年4月 - 水橋国民学校と改称。
  • 1944年8月 - 東京都大間窪国民学校(現・品川区立豊葉の杜学園学童集団疎開児童約90名を受け入れ。
  • 1947年4月 - 水橋中部小学校と改称。
  • 1955年
    • 5月 - 幼児学級併設。
    • 12月 - 鉄筋校舎建築着工(1958年までに第3期工事落成)。
  • 1961年10月 - 校歌、校章、校旗制定。
  • 1963年3月 - 給食室が落成し完全給食を実施。
  • 1964年
    • 4月 - 体育館改築落成。
    • 10月 - 管理棟落成。
  • 1966年5月 - 富山市立水橋中部小学校と改称。
  • 1967年
    • 3月 - 師弟一如の像建立。
    • 11月 - 清新の像建立。
  • 1973年9月 - 交通模擬訓練所(大成交通公園)完成。
  • 1976年3月 - 学校の森樹立(3か年計画完了)
  • 1998年7月18日 - 鉄筋コンクリート造2階建ての体育館が完成[4]

通学区域

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水橋朝日町、水橋市江、水橋市江新町、水橋稲荷町、水橋新大町、水橋新舘町、水橋新町、水橋地蔵町、水橋田町、水橋中大町、水橋中出町、水橋中村栄町、水橋中村新町、水橋中村町、水橋西天神町、水橋西出町、水橋西浜町、水橋東舘町、水橋東浜町、水橋東天神町、水橋東出町、水橋明治町、水橋館町、水橋柳寺[5]

進学先

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 富山市立学校設置条例 別表第1(第2条関係)
  2. ^ 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所発行)1213 - 1214頁
  3. ^ 学校登山
  4. ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)678頁。
  5. ^ 富山市小中学校通学区域表より 平成26年9月現在

外部リンク

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