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富小路隆直

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富小路隆直

富小路 隆直(とみのこうじ たかなお、1885年明治18年)6月13日[1] - 1957年昭和32年)2月21日[1][2])は、大正から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員。旧名・凖一郎[1][3]

経歴

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華族・富小路治直の息子として生まれる[1]。祖父、子爵富小路敬直の死後にその養子となり、1892年(明治25年)11月17日に子爵を襲爵[1][3][4][5]。その後、隆直と改名した[3]

1917年(大正6年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][4][6]1919年(大正8年)朝日海陸運輸に入社[2]。その後、名教中学校教員などを務めた[2]

1932年(昭和7年)7月10月、貴族院子爵議員に選出され[7][8]研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで二期在任した[2]。その他、内閣委員、厚生省委員などを務めた[2][4]

親族

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  • 祖父:富小路敬直(1842-1892)。元中務大輔(中務省の次官)で子爵。刑部大輔富小路永忠の子。[9]
  • 祖母:富小路篤子(1841-1917)。願泉寺 (貝塚市)11代住職・卜半了締の次女(卜半家は卜半斎了珍に始まる一族)[9]
  • 父:富小路治直
  • 伯父:相楽綱直(1868年生)。男爵。富小路敬直の四男。奈良華族の男爵相楽富道(富小路敬直の二男)の養子となり男爵を継ぐ。多額納税者松平家晃の長女で梅溪通虎の妹・淳子を養女にし、婿養子に嵯峨公勝の四男・公愛。[10][9]
  • 妻:富小路ふさよ(1890年生)。鳥羽林太二女[1]
  • 長女:富小路禎子[1] (1926生)。歌人。
  • 養子:富小路文光(1906年生)。子爵三室戸敬光二男、のち離縁。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』201頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』48頁。
  3. ^ a b c 『大日本華族大鑑』51頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ト44頁。
  5. ^ 『官報』第2819号、明治25年11月18日。
  6. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正6年 至大正7年』東京帝国大学、1924年、学士及卒業生姓名131頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、40頁。
  8. ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。
  9. ^ a b c 『現代華族譜要』444頁。
  10. ^ 相楽綱直『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 『現代華族譜要』日本史籍協会、1929年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。

関連項目

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日本の爵位
先代
富小路敬直
子爵
富小路家第2代
1892年 - 1947年
次代
華族制度廃止