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富小路 明子(とみのこうじ てるこ、? - 1828年9月16日(文政11年8月8日))は、光格天皇の掌侍。父は治部卿の富小路貞直[1]。右衛門掌侍、小侍従局と称した。
光格天皇に仕えて掌侍となり、右衛門掌侍と称した後、小侍従局と称した。1824年に第七皇女の蓁子内親王を出産。蓁子内親王は宝鏡寺へ入ったものの還俗して新清和院と称した。他にも2皇女(治宮・勝宮)を産んでいるがいずれも夭折する[2]。
1828年9月16日(文政11年8月8日)、死去[2]。
- ^ “富小路家(半家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月13日閲覧。
- ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社)