富士航空
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富士航空(ふじこうくう、英語表記:FUJI AIR LINE、略称FAL)とは、かつて日本国内で定期旅客便を運航していた航空会社。1952年9月13日設立。後に日東航空・北日本航空と合併し日本国内航空(1964年4月15日設立)となる。
概要
[編集]1952年9月13日に小宮三郎らによって、日本航空宣伝協会(日本宣伝航空)として設立。設立時の資本金は1,000万円(1952年当時)で、本社は東京都に置かれていた。当初は小宮が社長を務めていたものの、その後経営陣の交代が相次ぎその度に富士航空、三富航空、富士産業航空と社名を改称、最終的には富士航空へと戻された。
設立当初の社名から明らかな様に、最初は遊覧飛行・広告宣伝飛行を中心とした不定期航空運送事業に着手、1956年に既に東亜航空が開設していた鹿児島~種子島路線にビーチクラフトC-18Sツイン・ビーチで就航し、定期航空に参入した。
1964年に資本金を10億8,000万円に増資するものの、同年4月15日に、ほかの弱小航空会社であった日東航空・北日本航空と合併し日本国内航空(後の東亜国内航空 → 日本エアシステム(JAS) → 現在の日本航空)となり、最終的には企業として消滅した。
使用機材(回転翼機除く)
[編集]- ビーチクラフトC-18Sツイン・ビーチ
- ビーチクラフトC-50ツインボナンザ
- ビーチクラフトD-50ツインボナンザ
- パイパーPA-23アパッチ
- コンベアCV-240
- デハビランドDH114-1Bヘロン
- デハビランドDH114タウロン
- セスナ172
航空事故およびインシデント
[編集]- 1958年(昭和33年)2月3日 - 三重県大王町(当時)の船越神社の境内にセスナ機が墜落。乗員4人が死亡。志摩市立船越中学校校庭の人文字を撮影するため飛行中、何らかの理由で失速したもの[1]。
- 1964年(昭和39年)2月27日 - 富士航空機墜落事故
脚注
[編集]- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、127頁。ISBN 9784816922749。