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富塚文太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とみづか ぶんたろう
富塚 文太郎
生誕 (1929-02-28) 1929年2月28日
日本の旗 日本東京都
死没 (2022-11-28) 2022年11月28日(93歳没)
日本の旗 日本東京都
母校 東京大学大学院社会科学研究科理論経済学専攻博士課程
東京大学経済学部経済学科 卒業
影響を
受けた人物
なし
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富塚 文太郎(とみづか ぶんたろう、1929年2月28日 - 2022年11月28日)は、日本経済学者東京経済大学名誉教授、元学長、元法人理事長[1]

生涯

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東京出身[1]東京大学に学び、在学中は「全日本学生自治会総連合の傘下で学生運動にのめり込んでいた」という[2]1952年、東京大学経済学部経済学科を卒業し、産経新聞に入社し、東京本社で新聞記者となった[1]。その後、大学に戻り、東京大学大学院社会科学研究科理論経済学専攻博士課程に学ぶ。国民経済研究協会主任研究員、後に兼任で理事長、会長となる。1968年に東京経済大学経済学部助教授、1971年に教授、さらに1992年から2000年まで東京経済大学学長、1998年から2005年まで学校法人東京経済大学理事長を務めた[1]

大学外では、1975年から1980年にNHKの定例番組「1億人の経済」でレギュラー解説者、1983年に国分寺市商工会商業活動調整協議会会長、1988年NHK関東甲信越地方放送審議会副委員長、1995年に大規模小売店舗審議会・関東審議部会長[1][3]1995年からは日本広報学会初代理事長などを歴任した[4]

主だった勤務先・公職を退任して組織を離れた後も「独立エコノミスト[5]」としてブログなどを通した発信を続けていた[6]

2022年11月28日、病気のため死去。93歳没[7]

著書

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  • 富塚文太郎長洲一二 編『現代の資本主義観』至誠堂〈至誠堂新書 22〉、1965年10月1日。 NCID BN04967859 
  • 富塚文太郎、他『八〇年代の日本経済』三修社〈読売文化セミナー叢書〉、1980年12月1日。 NCID BN07486620 
  • 富塚文太郎、他『日本経済の活力と将来 : 世界の中の日本の選択』三修社〈読売文化セミナー叢書〉、1981年8月1日。 NCID BN08387034 
  • 富塚文太郎『ドル体制の矛盾と帰結 : 通貨危機から保護主義へ』読売新聞社、1990年2月1日。ISBN 978-4643900194NCID BN0449443X 

関連文献

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  • 「富塚文太郎教授年譜並びに主要著作目録」『東京経大学会誌 経済学』第225号、東京経済大学経済学会、2001年、5-9頁。 

出典・脚注

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  1. ^ a b c d e “インタビュー 東京経済大学前学長/富塚 文太郎さん”. みにこみ国分寺 (国分寺市商店会連合会) (25). (2006年10月3日). http://chspmedia.sub.jp/mck/25/interview.html 2014年1月6日閲覧。 
  2. ^ 富塚文太郎 (2013年4月10日). “文太郎の日記帳 - 朝鮮戦争は起こらないか”. 富塚文太郎. 2014年1月6日閲覧。
  3. ^ 大規模小売店舗審議会”. 経済産業省. 2014年1月6日閲覧。
  4. ^ 学会消息 日本広報学会」(PDF)『社会学部紀要』、関西学院大学社会学部研究会、1995年10月10日、134頁、2014年1月6日閲覧 
  5. ^ Buntaro Tomizuka (@BTTOKYO) - X(旧Twitter)
  6. ^ 富塚文太郎の診断禄
  7. ^ “富塚文太郎氏死去 東京経済大元学長”. 山陽新聞デジタル. (2022年11月29日). https://web.archive.org/web/20221129215157/https://www.sanyonews.jp/article/1335669 2022年11月30日閲覧。 

外部リンク

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学職
先代
荒川幾男
東京経済大学学長
第8代:1992 - 2000
次代
村上勝彦
先代
西谷昇
学校法人東京経済大学
理事長

第8代:1998 - 2005
次代
水野繁