富和宗一
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富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月14日 - 1991年(平成3年)2月5日 )は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長(大阪電気軌道創立から9代目)。
経歴
[編集]奈良県大和郡山市出身[1]。広島高等学校を経て1934年4月京都帝国大学法学部卒業とともに当時の大阪電気軌道に入社[2][1]。同社が合併を経て近畿日本鉄道となったのち、1965年(昭和40年)5月25日に取締役となる[1]。以後、1968年(昭和43年)11月25日常務取締役、1971年(昭和46年)5月25日専務取締役を経て、1973年(昭和48年)5月に取締役副社長に就任[1]。1977年(昭和52年)6月22日、今里英三の後任として社長に就任する[1]。社長在任中には、東京に都ホテル・東京を建設して、ホテルチェーンの拡大強化を計り、第5次輸送力増強等5か年計画を遂行し、生駒線の複線化や各線の主要駅におけるホーム延伸や近鉄八尾駅付近などの線路高架化などを実施した[3]。また、自己資本充実5か年計画も遂行し、企業体質の強化を計った[4]。
1981年(昭和56年)6月22日、社長の座を上山善紀に譲る形で退任して相談役となり、1990年(平成2年)3月13日までに務めた(1983年(昭和58年)6月28日までは取締役を兼任)[5][1]。
1977年11月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲二等瑞宝章を受章[1]。
1991年(平成3年)2月5日に肺炎のために奈良市内の病院で死去。享年80歳。
無類のゴルフ好きであった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「近畿日本鉄道100年のあゆみ」 近畿日本鉄道 2010年
- 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 下』興信データ、1991年。
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