宿寺山古墳
宿寺山古墳 | |
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所在地 | 岡山県総社市宿 |
位置 | 北緯34度39分44.05秒 東経133度46分57.85秒 / 北緯34.6622361度 東経133.7827361度座標: 北緯34度39分44.05秒 東経133度46分57.85秒 / 北緯34.6622361度 東経133.7827361度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長118m(116m) 高さ10メートル以上(後円部) |
埋葬施設 |
竪穴式石室1基 (別に後円部に竪穴式石室1基、前方部に竪穴式石室1基か) |
出土品 | 銅鏡・ガラス小玉・金製簪・刀剣・鉄鏃・埴輪ほか |
築造時期 | 5世紀後半 |
史跡 | 総社市指定史跡「宿寺山古墳」 |
地図 |
宿寺山古墳(しゅくてらやまこふん)は、岡山県総社市宿にある古墳。形状は前方後円墳。総社市指定史跡に指定されている。
概要
[編集]岡山県南部、旧山陽道に面した平地に築造された大型前方後円墳である。これまでに1887年(明治20年)・1920年(大正9年)に石室が破壊を受けて副葬品が出土している[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘は2段築成[1]。墳丘表面では下段斜面に割石の葺石が認められるほか[2]、円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(家形・蓋形埴輪など)が認められる[1]。墳丘の北側くびれ部には造出を有する[1]。また墳丘周囲には幅23-24メートルの盾形周濠の痕跡が認められる[1]。埋葬施設は後円部中央における竪穴式石室で、石室の主軸を墳丘主軸と平行方向とするが、前述の通り過去に破壊を受けている[1]。聞き取り調査によれば、石室は長さ約3.6メートル・幅約1.45メートル・深さ約0.6メートルを測る[1]。床面には礫石が敷かれ、その上には粘土が置かれたという[1]。石室内の副葬品のうち、西半(一説に中央石室とは異なる北約7メートルの竪穴式石室)からは変形四獣鏡1・金製簪1・刀剣3が、東半からは黄羊作獣帯盤龍鏡1・ガラス小玉・刀剣・鉄鏃などが出土している[1]。これとは別に前方部に竪穴式石室が存在したとする伝聞もある[1]。
この宿寺山古墳は、古墳時代中期の5世紀後半頃の築造と推定される[1]。一帯では作山古墳に続く大首長墓に位置づけられる古墳になるが[1][2]、作山古墳とは大きく規模を縮小する点が注意される。
古墳域は1971年(昭和46年)に旧山手村指定史跡(現在は総社市指定史跡)に指定されている[2]。
遺跡歴
[編集]- 1887年(明治20年)、石室西半の乱掘。副葬品の出土[1]。
- 1920年(大正9年)、石室東半の乱掘。副葬品の出土[1]。
- 1971年(昭和46年)3月20日、山手村指定史跡に指定(現在は総社市指定史跡)[2]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[1]。
- 墳丘長:118メートル(または116メートル[2])
- 後円部 - 2段築成。
- 直径:75メートル
- 高さ:10メートル以上
- 前方部 - 2段築成。
- 幅:62メートル
- 高さ:8.5メートル
文化財
[編集]総社市指定文化財
[編集]- 史跡
- 宿寺山古墳 - 1971年(昭和46年)3月20日指定[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(旧山手村教育委員会・山手村文化財保護委員会設置)
- 「宿寺山古墳」『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490344。
- 平井典子「宿寺山古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 宿寺山古墳 - 総社市「総社観光ナビ」