家倉悌二郎
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家倉 悌二郎(いえくら ていじろう、1900年〈明治33年〉2月21日[1] - 1956年〈昭和31年〉9月6日[2])は、昭和時代の台湾総督府官僚。
経歴
[編集]福井県に生まれる[1]。1927年(昭和2年)3月、同志社大学法学部経済学科を卒業し、台湾総督府財務局に奉職する[1]。1940年(昭和15年)10月、地方理事官に進み、基隆市助役に就任し、1942年(昭和17年)4月、新竹州桃園郡守に転じた[1][3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 興南新聞社 1943, 21頁.
- ^ a b 敦賀市議会 1982, 43頁.
- ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和17年』、500頁。
参考文献
[編集]- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 『敦賀市議会史 第2巻』敦賀市議会、1982年 。