宵の明星の軌道
『宵の明星の軌道』 | |
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ドイツ語: Hesperus-Bahnen | |
ピアノ初版譜の表紙(C.A.シュピーナ社出版) | |
ジャンル | ウィンナ・ワルツ |
作曲者 | ヨーゼフ・シュトラウス |
作品番号 | op.279 |
初演 | 1870年4月4日 |
『宵の明星の軌道』(よいのみょうじょうのきどう、ドイツ語: Hesperus-Bahnen)作品279は、ヨーゼフ・シュトラウスが作曲したウィンナ・ワルツ。『金星の軌道』とも。
作曲者の生前最後に初演された作品であり、「ヨーゼフ・シュトラウス最後の傑作」などと呼ばれることもある。
楽曲解説
[編集]ウィーンの芸術家協会『ヘスペルス(Hesperus)』に献呈された作品である。『宵の明星の軌道(Hesperus Bahnen)』という曲名は、文字通りに天体としての宵の明星の軌道と、芸術家協会『ヘスペルス』のこれまでの歩みという二つの意味を有している。
開場したばかりのウィーン楽友協会黄金ホールで開かれる『ヘスペルス』主催の舞踏会において、1870年1月に初演される予定だったが、火事の影響により3ヶ月ほど延期され、4月4日(3月13日とする説もある[1]が、後述する新聞評の日時を考えるとおそらく4月4日が正しい)に初演された。人々はこのワルツを聴いて次のように印象を述べたという。
「 | 知らず知らずのうちに足が踊り出そうとするだけでなく、感情までもが揺り起こされる[1]。 | 」 |
当時のウィーンの新聞である『モルゲン・ポスト』は、1870年4月6日の記事で次のように評した。
„Josef Strauss dedicated one of his most stirring compositions to the holiday ball, entitled Hesperusbahnen.“ (意訳)「ヨーゼフ・シュトラウスは、『宵の明星の軌道』と題した彼の最も素晴らしい作品の一つを、休日の舞踏会に捧げた」
4月4日の初演から3か月後の1870年7月22日、ヨーゼフは42歳で急死した。このワルツの作品番号は最後から数えて5番目であるが、初演日が延期された影響でヨーゼフの生前に初演された最後の作品となった。こうした経緯もあって、このワルツは「ヨーゼフ・シュトラウス最後の傑作」などと呼ばれることもある。
ニューイヤーコンサート
[編集]ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は次の一回のみである。
- 2013年 - フランツ・ウェルザー=メスト指揮
構成
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
序奏
[編集]重々しくも美しい導入部に始まる。ウェルザー=メストはこの部分について「シューベルトを思わせるような繊細さ」があると評しており、増田芳雄も「導入部はシューベルトの交響楽を思わせる[2]」と評している。多くの人々がまるでシューベルトのようだと認めるこの導入部に続いて、品のよい優美な第1ワルツが現れる。
第1ワルツ
[編集]第1ワルツのあと、やがてロマンティックな第2ワルツが展開される。
第2ワルツ
[編集]第3ワルツ
[編集]第4ワルツ
[編集]第5ワルツ
[編集]後奏
[編集]さらに第3ワルツ、第4ワルツ、第5ワルツと続いた後、最後に第1ワルツの主題に戻り、コーダで力強くも優雅に締めくくられる[2]。全体を通して、極めて芸術的な完成度の高い作品である。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のクレメンス・ヘルスベルク楽団長は「このジャンル(ウィンナ・ワルツ)の最高傑作のひとつ」と表現しており、2013年までニューイヤーコンサートへの登場がなかったのを意外なことだと語っている。増田も「彼(ヨーゼフ)の他のワルツに勝るとも劣らぬ美しいこのワルツが現代のコンサートで演奏されないのは不思議である[2]」と評している。
出典
[編集]参考文献
[編集]- CD『The Best of Josef STRAUSS』解説から[4] Hesperus-bahnen. Walzer (Hesperus’ Path. Waltz), Op. 279
- CD『Josef Strauss (1827-1870) Edition Vol. 7』解説から[10] Hesperusbahnen. Walzer (Hesperus’ Path. Waltz) op.279
- 増田芳雄「ヨーゼフ・シュトラウス――ワルツのシューベルト」(帝塚山大学『人間環境科学』第12巻、2003年)
- 若宮由美「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート 2013 ヨーゼフ・シュトラウスのためのニューイヤーコンサート 曲目解説」から〈宵の明星の軌道〉