宮路 (大奥女中)
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宮路(みやじ、生没年不詳)は、江戸時代中期の大奥女中。江戸幕府第7代将軍・徳川家継時代の御年寄。
1714年1月12日(正徳4年)に徳川家宣と徳川綱吉の法会が増上寺と寛永寺で執り行われ、絵島、梅山、吉川らと共に参拝。その際にお供の腰元一行を引き連れて木換町の山村座に立ち寄ったため、大奥の門限に間に合わなかったことにより江島生島事件が発覚する[1]。
事件発覚後、絵島は信濃高遠藩(現在の長野県伊那市高遠町)へ流され、宮路は町医者・山田宗見の預けとなった後、三宅島に流罪となった[2]。
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