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宮川四郎兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮川 四郎兵衛(みやがわ しろべえ、承応2年(1653年) - 元文5年1月16日1740年2月13日))は、江戸時代前期-中期の豪商新田開発[1]。名は言胤[1][2]

経歴・人物

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越後国柏崎町の豪商[1][2]。越後国岩船蒲原三島刈羽魚沼の5郡で新田開発を行い、新村52村を拓き、江戸時代初期の御用商人河村瑞賢に準えて「越後瑞賢」と称された[1]。のち高田藩より名字帯刀を許され、大肝煎となる[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『宮川四郎兵衛』 - コトバンク
  2. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『宮川四郎兵衛』 - コトバンク