宮崎集
表示
宮崎 集 | |
---|---|
国 | 日本 |
居住地 | 東京都 |
誕生日 | 1996年12月14日 |
出身地 | 日本 富山県富山市 |
没年月日 | 2022年7月27日(25歳没) |
死没地 | フランス サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏ロワレ県オルレアン |
引退 | 2022年 |
スポーツ歴 | 水泳、競歩 |
宮崎 集(みやざき つどい、1996年12月14日[1] - 2022年7月27日)は日本の女子トライアスロン選手。
経歴
[編集]富山県富山市出身[2]。中学校のときは水泳をやっており、この頃からトライアスロンもやってみたいと思うようになった[3]。富山県立富山中部高等学校では競歩をやっていたが大学に入る前に富山県トライアスロン協会の者から声がかったことから筑波大学体育専門学群に入学とともにトライアスロン部に入部、競技を始める[3][4][5][6]。
2019年に大学卒業し[7]、同年日本U23トライアスロン選手権優勝、第74回国民体育大会トライアスロン競技準優勝[4][8]。
アリーディを経て[1]、2020年4月サイサンガスワン入社、同年度より鹿児島県スポーツ協会(東京都トライアスロン連合)に強化指導員として所属[2][6][9][10]。東京都を拠点にしていた[8]。2022年6月の日本スプリント選手権で3位[4]。
2022年7月27日午前9時35分頃、フランスのオルレアンにあるトライアスロン海外拠点で他2人とともに個人合宿を行っていたが、バイクの練習中に反対車線の方向へ転倒、起き上がろうとしたが対向車と接触して死亡、25歳[2][11]。
人物
[編集]トライアスロンへの思い入れが人一倍強く、真面目で努力家、朝の練習の後に勉学もきちんとこなす文武両道[4]。周りからは愛されキャラで笑顔が素敵な人気者だった[4]。
梶原悠未は筑波大学の同級生で講義は隣同士で受けていた[5]。
脚注
[編集]- ^ a b “エリート選手(強化指定・日本代表)”. 日本トライアスロン連合 (2020年1月14日). 2024年3月31日閲覧。
- ^ a b c 「トライアスロン・宮崎集さんがバイク練習中に事故死 フランスでの個人強化合宿で対向車と接触」『スポーツニッポン』スポーツニッポン新聞社、2022年7月28日。2024年3月31日閲覧。
- ^ a b “選手紹介Vol.92『トライアスロンやってみたい!と思ってました』宮崎 集”. アスリートオブジャパンオフィシャルブログ (2019年11月25日). 2024年3月31日閲覧。
- ^ a b c d e 「トライアスロン女子の宮崎集さんがフランスで事故死、25歳 自転車の練習中に対向車と接触」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年7月28日。2024年3月31日閲覧。
- ^ a b 「梶原悠未「ショックで苦しい」 同級生トライアスロン宮崎集選手事故死に涙」『デイリースポーツ』神戸新聞社、2022年7月28日。2024年3月31日閲覧。
- ^ a b “宮崎集”. Facebook (n.d.). 2024年3月31日閲覧。
- ^ “OB・OG”. 筑波大学体育会トライアスロン部 (n.d.). 2024年3月31日閲覧。
- ^ a b “宮崎 集”. アスリートオブジャパン (n.d.). 2024年3月31日閲覧。
- ^ “トライアスロン選手の海外拠点活動時に発生した事故に関するお知らせ” (PDF). 日本トライアスロン連合 (2022年7月28日). 2024年3月31日閲覧。
- ^ 「トライアスロン・宮崎集選手が死去 鹿児島県スポーツ協会所属、25歳 フランスで自転車練習中に事故 県トライアスロン協会「大切な仲間失った」」『南日本新聞』南日本新聞社、2022年7月29日。オリジナルの2022年8月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Saint-Cyr-en-Val : après la mort d'une cycliste japonaise, encore beaucoup de zones d'ombre” (フランス語). France Bleu. (2022年7月27日)
外部リンク
[編集]- Tsudoi Miyazaki (JPN)(ワールドトライアスロン)
- Tsudoi Miyazaki 宮崎集 (@doitsudoitsudoitsudoi) - Instagram