コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

宮崎清隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月25日)は、日本小説家陸軍軍人。最終階級陸軍憲兵曹長

経歴

[編集]

新潟県刈羽郡田尻村(現・柏崎市)生まれ。日本大学法学部、経済学部卒。柔道四段、剣道三段。日中戦争では陸軍憲兵曹長として、大陸で転戦し多くの戦傷を負う。戦後は戦争犯罪人として指名され「東洋の魔王」と呼ばれるが連合軍の追跡を逃れ中国を脱出し、6ヵ月の逃避行を行った。1951年日本独立に際し追及を解かれ、後にその体験などを著作としベストセラーとなった。鉄道弘済会本部会長室秘書課勤務[1][2]

また、三島由紀夫に惚れられて、15万円のスーツをプレゼントされることや唯一の弟子とも見られていた[3]。2001年5月25日、腸閉塞のため死去[4]。82歳没。

著書

[編集]
  • 『憲兵』富士書房 1952 東京ライフ社、1955
  • 『続・憲兵』富士書房 1952
  • 『軍法会議』富士書房 1953
  • 『黒い声』東京ライフ社 東京選書 1955
  • 『青春監獄 初年兵日記』東京ライフ社 東京選書 1955
  • 『青春地獄 大陸・万年一等兵』東京ライフ社 東京選書 1955
  • 『0番線から降りた女 第1部 (東京の罠)』東京ライフ社 東京選書 1956
  • 『明日なき日月』東京ライフ社 東京選書 1956
  • 『あれから10年』東京ライフ社 東京選書 1956
  • 『野戦看護婦』東京ライフ社 東京選書 1956
  • 『十代の顔役 「暴力教室」日本版』東京ライフ社 東京選書 1957
  • 『0番線から降りた女 第2部 (東京無情)』東京ライフ社 東京選書 1958
  • 『支那派遣軍かく戦えり 北支電撃作戦の巻』大光社 サン・ブックス 1966
  • 『鎖と女と兵 初年兵時代』宮川書房 ミヤカワ・モルフォブックス 1967
  • 『憲兵・軍法会議』宮川書房 ミヤカワ・モルフォブックス 1967

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 『憲兵』東京ライフ社の奥付著者略歴
  2. ^ 鉄道弘済会にいた時に下山事件が起きた。事件前日の1949年7月4日午前、「近いうちに吉田(吉田茂首相?)か、下山のどちらかを殺してやる」という匿名電話を受けるも、夫人の実家から電報で直ぐ来るように言われ、その夜福島に向かい、10日に帰京。後に取り調べを受ける。(平正一 著『生体れき断』毎日学生出版社。69、76ページ)
  3. ^ アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(2)“文豪”三島由紀夫がぞっこん惚れた男2018年6月7日 閲覧
  4. ^ 宮崎清隆氏死去/作家 四国新聞 2001年6月3日

関連項目

[編集]
  • 小坂慶助 - 宮崎と同じく元憲兵であり、戦後は小説家となった人物。

外部リンク

[編集]