宮崎守保
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宮崎守保 みやざき もりやす | |
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生年月日 | 1932年12月14日[1][2] |
出生地 |
日本 埼玉県浦和市 (現・さいたま市)[1][2] |
没年月日 | 2015年4月11日(82歳没)[3] |
親族 | 義子・宮崎栄治郎(埼玉県議会議員・埼玉県議会第119代議長) |
宮崎 守保(みやざき もりやす、1932年12月14日[1][2] - 2015年4月11日[3])は、日本の政治家、馬主。
1975年に史上最年少で浦和市議会議長となったほか、埼玉県議会副議長を務めた[1]。また、1997年の中央競馬の二冠馬であるサニーブライアンの馬主としても知られる。
経歴
[編集]1932年、埼玉県浦和市(現・さいたま市)の資産家のもとに生まれる[1]。1967年、35歳で浦和市議会で立候補し初当選、1975年には同議会議長に史上最年少で就任した[1]。以降、埼玉県政へ転じ、1991年5月から1992年3月まで埼玉県議会副議長も務めた[4]。
馬主活動
[編集]日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は桃、紫一本輪、黄袖、冠名には「サニー」を用いた。
宮崎家は1948年にオープンした浦和競馬場の地主となっており、守保は、学生時代から近くで飼養される馬を見てきたという。その1頭に1937年に牝馬ながら東京優駿(日本ダービー)を制したヒサトモがいた[1]。繁殖牝馬を引退後に浦和競馬で再び競走馬となり、最期は心臓麻痺によって死亡したヒサトモは、守保がはじめて触れた馬だったという[1]。
その後、40歳の頃に自身も馬主となり、ゴールドスペンサーが1980年、1981年と川崎記念を連覇するなどの活躍を見せた[1]。さらに、自身の所有馬であったサニーロマンの仔のサニースワローは1987年の日本ダービー2着となり、その甥にあたるサニーブライアンは1997年に皐月賞と日本ダービーを優勝しクラシック二冠を達成した。
主な所有馬
[編集]GI競走優勝馬
[編集]重賞競走優勝馬
[編集]その他の所有馬
[編集]- サニースワロー(1987年東京優駿2着、京都新聞杯2着)