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宮岡公夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮岡 公夫(みやおか きみお、1922年12月8日 - 1998年1月25日)は、日本郵船元社長・会長・相談役。日本外航客船協会会長。

人物

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戦前

  • 5歳の時宮岡の父は和歌山で脳溢血で急死し、母、妹と共に祖父母の住む赤坂で育った[1]
  • 宮岡の家も母の実家も出身地は金沢である[1][2]

戦中

  • 静岡高等学校から東京大学法学部に入学したが、まもなく学徒動員海軍に配属された[3]
  • その時の上官は特攻作戦(人間魚雷回天)の為に学生一人一人に面接し特攻に対する意向を確認した、宮岡はその質問に対し「私は母親を一人残して特攻への道へ進む事は到底出来ません」とハッキリと意見を述べた、この事は、当時軍人として真の勇気を要する事だった[3][4] とその上官は後日述べている。
  • 1945年4月、戦艦大和の沖縄特攻作戦に護衛の駆逐艦「」に乗り組んで出陣したが、「響」は機雷接触の故障で戦列を離れたため沖縄に突入しなかった。修理後舞鶴で当時病院船であった日本郵船の「氷川丸」と出会った。「氷川丸」による補油作業のあと、本船に招待を受けて先ず入浴。そして御馳走になったのが後年日本郵船入社を志した心理的要因となった[5][6][7][8]

戦後

  • 大学卒業後入社してすぐ積極的に組合活動をした為会社側に睨まれ大学卒では初めてという荷役係へ飛ばされた。しかしこの仕事は沖に停泊している船との間を往復するだけで3時間かかり、その合間に好きな読書ができたので喜んで、また一生懸命仕事もした[9]
  • 1984年、日本郵船の社長に就任。
  • 氷川丸」引退をもって撤退していた客船事業への再参入に向けて海外のクルーズ事業の調査を指揮し、北米向けクルーズ客船「クリスタル・ハーモニー」の就航に尽力した[10]
  • 戦争での経験により、その後勲章を辞退し、「勲章は戦後民主主義に対する侮辱である」の主張を展開した[11]
  • 宮岡は終生絵画をたしなんだ。また別府市の祖母と叔父のところにも度々会いに行き叔母からピアノを習ったりした[12]

略歴

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戦前

戦中

  • 1943年、東京帝国大学法学部政治学科入学
    • 1943年、学徒出陣により武山海兵団入団
  • 1944年、海軍兵科第四期予備学生 武山学生隊入隊
    • 1944年、横須賀海軍航海学校入校
    • 1944年、海軍少尉任官、航海士として駆逐艦「響」に乗り組む
  • 1945年、「響」は戦艦「大和」の沖縄特攻作戦に護衛艦として参加、三田尻沖にて触雷、故障のため呉に曳航、修理
    • 1945年、「響」回航中、舞鶴で病院船「氷川丸」と出会う
    • 1945年、「響」新潟で停泊時に終戦、その後舞鶴で復員

戦後

主な著書

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  • 『母の手紙』1997年2月 自費出版 著者 宮岡公夫

脚注

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  1. ^ a b 宮岡公夫追悼文集刊行委員会 1998, pp. 467–473.
  2. ^ 宮岡公夫「特集ーわが故郷」『ほおづえ』第四号、財界人同人誌、1995年。 [要ページ番号]
  3. ^ a b 宮岡公夫追悼文集刊行委員会 1998, pp. 86–87.
  4. ^ 武田五郎『『回天特攻学徒隊員の記録』単行本』光文社、1997年11月25日、62-63頁。ISBN 978-4334971540 
  5. ^ 宮岡公夫追悼文集刊行委員会 1998, pp. 19–22.
  6. ^ 宮岡公夫「特集ー私の戦後五十年」『ほおづえ』第五号、財界人同人誌、1995年。 [要ページ番号]
  7. ^ 阿川弘之『随筆集『七十の手習ひ』文庫版』講談社、1999年12月15日、169-171頁。ISBN 978-4-06-264763-2 
  8. ^ 阿川弘之「駆逐艦が客船に化けた話」『日本経済新聞日本経済新聞社、1990年8月26日、36面。
  9. ^ 三浦弘行 (1996/1/1). プラス思考 夢をかなえる発想法. 考古堂書店. p. 245. ISBN 4-87499-526-8 
  10. ^ 佐藤早苗「輝きの航海 日本の客船とその時代」(時事通信社1993年)
  11. ^ 宮岡公夫追悼文集刊行委員会 1998, pp. 94–96.
  12. ^ 宮岡公夫追悼文集刊行委員会 1998, pp. 274–276.
  13. ^ 宮岡公夫追悼文集刊行委員会 1998, pp. 553–557.

参考文献

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  • 宮岡公夫追悼文集刊行委員会 編『人間讃歌 : 宮岡公夫の人生』宮岡公夫追悼文集刊行委員会、1998年12月8日。 NCID BA42058725 
先代
小野晋
日本郵船社長
第14代:1984年 - 1989年
次代
根本二郎