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宮尾辰男

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宮尾 辰男(みやお たつお、1928年2月22日 - 2015年2月24日)は、新潟県中頸城郡中郷村(現上越市中郷区)出身のクロスカントリースキー選手、指導者。

来歴

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1942年に日本曹達二本木工場に入社。戦後クロスカントリースキーを始め、1952年の国民体育大会クロスカントリースキー成年男子10kmで優勝、30kmで2位となる。1954年の第32回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキーでは、個人耐久(40km)で優勝。翌1955年の同大会個人長距離(15km)では、角昭吾(秋田営林局)に次いで2位だったが、同年の国体の成年男子15Kmでは角を抑えて優勝する。

1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックの代表選考委員会では、委員の間で宮尾と角のどちらを選ぶかで意見が分かれたが(当時のクロスカントリースキーの代表枠は1人)、最終的には長距離・耐久の両方に実績のある宮尾が代表に選出された。同オリンピックでは、クロスカントリースキーの個人競技全て(15km、30km、50km)にエントリーし、15kmでは48位、30kmでは28位、50kmでは25位の成績を残した。

その後も、1964年の国体壮年の部で優勝するなど、息の長い活躍を続け、引退後は全日本スキー連盟理事、新潟県スキー連盟副会長などを歴任した。

2015年2月24日、心不全のため上越市内の病院で死去した。87歳[1]

参考文献

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  • 小川勝次「日本スキー発達史」朋文堂、1956年
  • 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年
  • 新潟県スキー連盟編「スキーにいがた 2012 第37号 創立80周年記念誌」2012年

脚注

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外部リンク

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